人間は、物事に確かにそこに在ってほしいと
永遠を望む。
しかし人間は、どんな苦悩もいつかは必ず終わりがくるようにと
永遠を恐れる。
何年も前に週間ストーリーランドという投稿番組があったが
その中で放送したオリジナルアニメ「終わらない水」という話を今でも奇妙で思い出す。
人は、いつまでも健康に生きたいという思いと裏腹に
いつか必ず死が訪れることに安心感を抱く。
いずれ終わる身だから、どんなに傷ついたってへっちゃらだし、自分を大切に、毎日を楽しもうとすることができる。
医学の進歩で人類の寿命は伸びているが、はたしてその集大成には「不老不死」が実現するのか。
不老不死は幸せなのか。
死ねないことは不幸なのか。
では死ぬことは不幸ではないのか。
「死」に負のイメージを強く持ちがちではあるが、生は始まった瞬間から死に向かっていく。
人間は「死」を受け入れられるようになるために生きる必要がある。
いつか来る恐ろしいものは避けるでなく、寛大に受け入れるべきだ。
有名なキリスト教の聖人には「死」を「わが姉妹」と戒める者もいる。
終わりがなく永遠に在り続けるということのほうがよっぽど恐ろしいと思う。
永遠に形を留めるものはないと、大学入試の論文に書いた記憶があるけど
「永遠」「永久」という言葉がある以上、それは存在するのかもしれない。
個人的には、どんなものなのか定義すらわからない。
今このレベルの頭で考えられるのは、
永遠に在り続けるべきものは、目に見えないもの、実体を持たないものなんじゃないかということ。
講義で扱う哲学のような勉強は苦手なもので、特に近現代に関してはちんぷんかんぷんだからもっと勉強する必要こそあるし、
この理由も感覚的な解釈だから、言葉にできないといかん。
編集後記
この文章はmixiにあげたものだが、この記事のトップの表題は編集の関係で付け足した。
無意識に「美しい」という単語を使っている以上、これは哲学ではなく美学であるのかもしれない。
少なくとも自分が探求したがっているものは美学のほうに近いことは確かだ。