優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

【mixiログ(09.3.8)】ディズニーランドはいつまでも完成しない。

25年間でゲストが変わった。

大好きなキャラクターが3次元に生きている夢と魔法の国。 ディズニーの仲間たちと会える。 アニメに憧れを抱いた誰もが、そんな風に胸踊らせてやって来た。
しかしそのリアリズムの追求の先に、いつしかディズニーランドそのものが「ディズニー」のオリジナルと取られがちなる。そこには、2次元の画面からキャラクターが飛び出してきた驚きと喜びはない。ただのかわいい着ぐるみだ。
ウォルトが抱いた「夢と希望」というコンセプトすら、今日の舞浜においては、現実逃避的な嘲笑となりつつある。


今年5月25日、ミッキーマウスレビューはその歴史に幕を下ろす。
ディズニーの「歴史」と「音楽」に触れる、すばらしいアトラクションだ。
優秀なキャラクター(のロボット)達が次々に奏でる楽曲には、映画の名場面を想起するしかない。


しかし、ゲストが変わってしまった今日において、その感動は薄れてしまった。
オーケストラの演奏者に選ばれたキャラクターも、25年の歳月にはもはやついていけない。ピグレット、プー、ラビットはクラシックで今の姿とは違うし、「ジャングルブック」や「田舎のネズミと街のネズミ」(多分…)からの抜擢には、今日となっては理解しがたいものがある。ドナルドの3銃士も、作品を見たことがなければピンとこない。


バズ・ライトイヤーのアストロバスターや、来月オープンのモンスターズ・インクのアトラクションに見られるように、新設されるのはどれもゲストが体を動かす参加型である。ミッキーマウスレビューの跡地には、3Dのやはり音楽に関連したアトラクションができる予定らしい。
新鮮でなく刺激のないアトラクションの生存は、厳しい状況にきている。


このアトラクションにおいて、問題は"ロボット"にあるのではない。(今でもそうだが特に)幼い頃には、目の前であたかも生きたように動く彼らに、純粋に感動を受けたものだ。問題の大元は、アニメーションの大スターではなく、テーマパークの人形としてで「ディズニー」と出会ってしまっている人が圧倒的に増加していることだ。ディズニーランド開園までの足取りを知らないから、ちょっとやそっとでは満足な感動や楽しみを得られないのである。


ディズニーアニメを存分に知る身から言えば、ミッキーマウスレビューは、開園当時のディズニーの夢を形にした、まさに理想のアトラクションだと思う。下手なCGなんかよりよっぽどリアルだ。


この歴史の変遷のなかで、ミッキーマウスレビューの終了は必然だったのかもしれない。偉大なアニメーションブランドを語る、親しみやすい場がなくなるとは残念でならない。


昨日、一人、シートに座り、年季の入った古めかしいデザインの大スター達を眺めながらそんなことを思った。あんなに広々と見えていた大パノラマのステージも、こんなものかってほどに小さく見える。自分の、世間の、歳月を感じた。


進化させる必要のない、伝統や歴史がある。その礎を疎かにしては絶対にいけない。人間は極めるところまで極めてしまったから、これからは理性でもって我慢をする時代だと思う。進むことより、止まることのほうが勇気が要る。



「ディズニーランドは、いつまでも完成しない」
ウォルトの残した言葉だ。
時代が変わり、人が変わり、望みが変わる。今後、どのように展開していくかはわからない。
でも東京ディズニーリゾートが、ただのキャラクターパークにはなってほしくない。

"映画のフィルムから飛び出した大スターに会える"

この感動は、いつまでも変化させてはいけないはずだ。

その夢と魔法の国の根底に、映像と音楽による芸術があることを、忘れないでほしい。