【フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて】渋谷Bunkamura

昨日で終了した展覧会ですが、金曜日に行ってまいりました。
ラストスパートだけど混みすぎず、だからといってさびしすぎず、来館者もちょうどよいくらいに感じました。


最大の目的はジョルジュ・ミンヌの彫刻。
シーレが初期に参考にした、分離派で紹介されたということでしょっちゅう聞く名前。代表作《ひざまずく少年》なんか特に。
それが今回きているのである。行くしかないのである。

《ひざまずく少年》

あんなに惹かれ、あんなに見入ってしまった彫刻ははじめて。
あのお尻の左右のくぼみ方、プロポーションと繊細な腰のポーズ、肩甲骨のごつごつ感……たまらない。
おそらく、自分の身体と似た痩せ型だからそこに安堵感や共鳴するモノを感じ取ったということなのだが
ものすごく生命力や神秘性を感じる。優気に一番身近なミーメーシス。
何より、少年の右側からみるとその横向きの姿が、シーレの《友情》の後方の少女を連想させる。
ポーズも何もちょいちょい似てないし違うんだが、あの哀愁漂う感じというか悲愴な表情がそっくり。


真横の監視員さえいなければ、衝動的に抱きついていた気さえする←。
フィギュアとかあったら買うんだけどなー……一般ウケしなければグッズも作らないかBunkamura



ミンヌの彫刻における「手」

彫刻というか、今回出品されていたのはいずれもブロンズ像だったわけだが
その「手」は異常にでかい。そういえばロダンの作品も腕など上半身は大きめに描写されていたんだっけ。
《ひざまずく少年》で自らを抱くその手も、顔などの寸法からするとかなり大きい。
《人足》では前で組まれ、突き出た両手が、真正面で見るとインパクトがあったけど、あれも掌で顔を覆えるのではというほどのサイズだった。


シーレの「手」の描写はかなり特徴的。イニシャルを表したような妙なポーズをさせられていたり、神経質そうに無理にねじまげられていたりする。
そこにメッセージ性を見出そうとすることも価値がある。
千足先生もシーレの「手」と「目」に関して文章を書かれたことがある*1し、シーレの「手」に関する正規な論文も存在する。
ミンヌを参考にしたときにその様式だけでなく、この「手」の誇張にもシーレが注目していたとしたら…
彫刻的性格、精神的なものの体現、あるいはゲントに源流をみる荘厳な文化などなど、垣間見られるかもしれない。


語学に苦戦し課題に翻弄され、まともにシーレの画集を開けていないこの頃。いいきっかけができた。
6限まであるけど帰宅後に早速見てみよう。
…バイト先から着信があったけど、やっぱり明日出勤できない?だとめんどくさいから見なかったことにしておこう←

*1:『もっと知りたい世紀末ウィーンの美術』、東京美術、2009年