斉藤環著『戦闘美少女の精神分析』を読み始めたのだが、序論で紹介されている岡田斗司夫の「おたくの定義」が非常に興味深い。
オタクの定義
定義1:進化した視覚を持つ
定義2:高性能のレファレンス能力を持つ
定義3:あくなき向上心と自己顕示欲
真のオタクであるために必要な3条件
- 「粋の眼」:自分独自の視点で作品中に美を発見し、作者の成長を見守り、楽しむ視点
- 「匠の眼」:作品を論理的に分析し、構造を見抜く科学者の視点。同時に、技を盗もうと見抜く職人の視点でもある
- 「通の眼」:作品の中にかいま見える、作者の事情や作品のディテールを見抜く目
AKB48でもディズニーでもそうなんだが、
お金を払い、劇場に通い、グッズやCDを"大人買い"する。
年パスを買い、一眼レフを持ち、グッズで武装して、"同志"と協力して何時間も場所取りに捧げる。
少し希少な経験をし、希少な事物を所有すれば、それだけで誰もが「ヲタク」に見えてしまう。
しかし見えるだけで、実際は「ヲタク」を着飾って居場所を確立し、建前だけで自己満足している"偽者"も存在し得る。
新規か古参か。何年推してるか、何回行ったか、いくらつぎ込んだか、いくつ持っているか。
“数”を重ねることが“キャリア”となる故、お金で「ヲタク」という地位を買っているような気さえする今日である。
「ヲタク」のブランド化が進んでいる中で、このような冷静な立場からの定義がなされるということは
クオリティーの堕落の歯止め…といったら固いけど、安易に「ヲタ」を名乗る人間が溢れかえっている今日にあっては心強い一論だと思う。
斉藤氏の文章は、ようやく読み終えた東氏の『動物化するポストモダン』よりもずいぶん学術的。
内容はおもしろそうなんだけど、同性愛を「性的倒錯」とするのは間違えだ。
医師という立場にあっては尚更、言葉をもっと慎重に選ぶべき。