村上春樹『海辺のカフカ』

2005年、新潮文庫


文庫上下巻ともに分厚かったけど、章ごとの区切りがよく、視点もころころ変わって同時進行で展開していくからどんどん読み進められた。

最後の最後の方は特に、ちょうど今読んでる佐々木健一先生の『タイトルの魔力―作品・人名・商品の《なまえ》学』のような呼び名と実態の話が挟まってくる。
結局、田村カフカ君の本名は明かされることなく終わっているわけだけど、“カフカと呼ばれる少年”という名前のカラスが彼の分身的に登場したりするので、彼の本名もカフカなんだろうという暗示にかかってる状態というか。
ゆがんだ空間から生まれ出た妙な登場人物や怪奇現象の数々だけど、実際そういう奇怪な出来事や存在ってあるんでしょうな。
カーネル・サンダースとか、ジョニー・ウォーカーとか、なぜ扮装していたのかはまぁよしとして、そういう非現実の存在が現実世界に存在している光景に違和感なく接することができた。妙な感覚だけど実際、ヘンなのとか、こんなのありえない!とは思わなかった。
きっと自分が知らないところではこういうことがある。自分が違和感を感じる人の言動や出来事があったとしたらきっとその背後にはこういうゆがんだ非現実が存在している。きっとメタファーなんだろう、と思っておくと、生活していくうえで想像が広がって結構楽しかったりする。


何より、村上氏は本当に本とレコードが好きなんだなと。その知識のほうが本編の中では違和感を与えているような気がするほど。
図書館に移住するというのも、村上氏の夢のようでもあるし、その“図書館”という文字と学識でいっぱいな空間こそが、人間とその記憶っていうメタファーになっている。
本が一冊もない図書館のようだって表現がされた、文字が読めないナカタさんや、最期の願いとして自分の記憶を整理するために書いた文章をすべて焼却するようナカタさんに頼んだ佐伯さんも、みんながみんな特殊な事情を抱えた“図書館”のように読めた。


先日、フォロワーさんとその親友の方とご飯に行ったのだけど、「おまえはもっと本を読め(特にファンタジー)」ということをとても指導されたところだったので、
この“図書館”のメタファー(大島さんは図書館はメタファーじゃなくてそのものだと言っていたけど、僕という読者としては、作品全体にみえた大きなメタファーだった)をイメージにして、その“蔵書”を増やしていきたいなと切に思った。