優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

「羊飼いの旅」MV

美術史専攻が燃えたぎる映像届きました。
ニューシングル「Give me five!」タイプBのC/W、「羊飼いの旅」。
歌うのはスペシャルガールズBと名づけられた24人。

岩佐美咲多田愛佳片山陽加倉持明日香小嶋陽菜高城亜樹
秋元才加梅田彩佳菊地あやか藤江れいな松井咲子峯岸みなみ宮澤佐江横山由依
河西智美柏木由紀北原里英佐藤亜美菜増田有華渡辺麻友
島田晴香永尾まりや
松井玲奈
高柳明音

タイトルを聞いた時にイメージした通りの、キリスト教を下敷きにしたそのままのテーマだったわけだけど、まさかこんなにすばらしいMVがくるとは。


監督は、「これからwonderland」「隣人は傷つかない」などなどを手がけている中村太洸
白黒の対比がキツい映像、という印象がありましたが、今回のように優しい明暗表現も素晴らしい。
すべての瞬間が美しい。キャプ画作業も着手するまでが難航だった。
全瞬間を静止画にしたい衝動。しかもそのすべてが美しく、完結している。



世界

中村監督の映像、あまりたくさんをみたことはないけど、隔たってるけど繋がってる世界観がある。
このMVでは3つの空間が登場する。
修道院の一室のような石畳の部屋、廃墟のような屋外、そして闇。



部屋は、由紀が聖書を広げるか、あるいは陽菜と玲奈が蝋燭を吹き消すシーンでしか使われていない。
彼女たちは移動するけど、白いマントを身につけたメンバーは、壊れた岸壁の囲いの中から出られない。



出ようとすれば、仲間が止めに入り、黒いマントのメンバーを見送ることしか出来ない。
「白」=「羊」。



黒いマントを纏うメンバーは、部屋、廃墟、そして闇をも移動することができる。
この映像において、部屋と廃墟をつなぐ空間が闇。
おそらく、「黒」=「羊飼い」に相当する。




羊飼いの由紀、麻友と、白の羊たち

由紀が読む黒い本の中身はみえませんが、おそらく言葉がそこにはあるのだろう。





読んでしばらくすると涙が頬を伝い、そのひとしずくは闇の空間を経由して廃墟の羊たちのいる場所へと降り注ぐ。



その麻友の周りには百合。
貞節」の象徴として、聖母マリアを連想させる花。
冒頭でその百合を供えられ、陽菜と玲奈が迎えにきて、由紀の涙によって覚醒する。




生まれたての子どものような某然とした表情。
映像世界では、麻友は白の「羊」にもっともちかい黒のように見えます。
石棺のような台の上に横たえ、みなに見守られながら世界を橋渡しする、生贄としての「羊」。
それは彼女の若さゆえの配役のように思えます。



蝋燭が消えて、陽菜と玲奈が倒れるところで、はっきりと口を動かして何か一言つぶやいているのですが、唇の動きが読めない…なんて言ってるんだろう?
「黒」の羊飼いは、いろんな世界をうろうろできるけど、そのなかでも麻友は幼く感情的で、自由な位置にある存在。




羊飼いが群れを去るとき、麻友が引き返して、百合を一輪さしだす。
私見だけど、麻友から「忘れないで」と言わんばかりの情が伝わってきた。
百合の花は、次のカットでは、彩佳の手の上で白い本に変わっている。
「百合」=「貞節」=「白い本」、なら、きっと「この純潔さを忘れないで」というメッセージに変換できるんじゃないかなと思います。




けど、明日香、彩佳、智美はその重みがわからないような無表情。
白い本はまっさら。何も書かれていない。それが風に舞い上がる。



由紀がいる室内に言葉が印字された1ページが舞い込む。




そのページを読み上げると、羊たちは耳を塞ぎ、それまでは無だった表情を歪める。
でも少しするとはっとして手を離し、顔をあげる。
後方にはさっきまでなかった明るさで、光がさしている。


由紀がいるこの室内は、厳しい試練としての「現実」。
そして、純真無垢な「夢」こそが白い羊たち。
黒いマントの羊飼いたちによってまとめられ群れをなし、囲いの中で守られ、育てられている。



亜樹、由依、里英

信仰心が厚い者の順に、位のようなものが存在するけど、おそらくこの世界で序列するとしたら、
「由紀 > 陽菜、玲奈 ≧ 亜樹、由依、里英 > 麻友」になるのではないでしょうか。



3人は、“修道僧”にいちばん似通った存在。
闇の空間に立ち、木を介して、部屋と廃墟の真ん中で瞑想している。
黒の修道僧に、廃墟の羊たちに、花弁(木の葉?)が舞い散りはじめるのは、3人が木の幹に触れた瞬間であり、由紀が言葉を口にした瞬間。
羊飼いにとっては、求めた摂理の答えのようなものが実った瞬間であり、同時に
羊たちにとっては、現実を知って身構える緊張の瞬間。



陽菜、玲奈

そして思ったのは、黒いマントをまとっているメンバーも、以前は白いマントの羊だったんじゃないかということ。
現実の厳しさに敗れた夢が死んで消える図が、陽菜と玲奈のように思える。




蝋燭とその状態は、生死を表すイコン。
陽菜と玲奈が倒れても、テーブルの上の燭台は依然として灯っている。
由紀がいた空間と同じだけど、由紀が昼だとしたら、陽菜と玲奈のいる空間は夜。
由紀がいたシーンでは陽が差し込んでいたけど蝋燭は灯っていた。だから、この灯りが手元を照らすためではなく、生命の象徴として置かれていることは確か。




闇で赤い華が咲くと、その花弁は散ったように廃墟へ降りそそぐ。
そして次のカットで、また歩き出すメンバーの中に、この2人はいない。
2人が倒れているカットと、一瞬だけ挿入される黒々とした地面のカットがリンクしています。



先祖からの山は、こうやって積もった祈りや、土に還っていった思いで出来上がっている。
それは歌詞をみても、「先祖からの山 同じ土に宿る想い 尊い命」と明確。
麻友が覚醒するシーンでは、彼女を迎えに来たように登場する2人は特に、悟りの深い「黒」として描かれてるように思えます。



羊飼いは旅を始める

陽菜と玲奈の2人が蝋燭を消して倒れると、
廃墟の後景も暗くなり、羊たちもバタバタと倒れていきます。




仲間の"死"をさとる3人の背後には、石の十字と明るい日。
このセットの右端に十字が配されてるのはもう無論、意図的。ここでは神への祈りの象徴でもあるし、仲間への祈りでもある。
果てた2人の真っ暗な室内から、3人の明るい屋外へというのは対照的なシーン。
日が沈み、また夜が明けて、朝がめぐってくるような光の印象。
そして、2人を除く4人の羊飼いに導かれて、また羊たちは群れをなして歩き始める。



永遠的な死というよりは、
思い出を土に還し、肥やしにし、華を咲かせるという地道な日課を日々繰り返すことによって 「歩き続ける」、生き続けているということを示してると思います。
「まだ遠い山の嶺を目指しながら 群れは進むよ」とあるように、日が昇ればまた、この廃墟を離れ、羊飼いと羊は山を歩きに行く。
「鈴を鳴らして」=心臓の鼓動を鳴らして=生きて。
そうして、「山から山へ 歩き始める」というと、=困難に立ち向かい、瞑想する。
生きる人間みなが経験する、哲学的な苦悩を具現化している世界に自分には思えました。



言葉

キリスト教学は専門ではないので、にわか知識で。


ルカ、マタイの福音書では「迷いの羊と羊飼い」の寓話の節があります。
そこではイエスを羊飼い、彼の信者を羊にたとえて、羊飼いの懐の厚さが伝えられています。
“迷える子羊”なんて言い回しがありますが、おそらく聖書からの派生でしょうね。


本映像ではこれとは違った意味がこめられていますが、
「羊」=無垢、感情、夢をみちびく「羊飼い」=知性、理性、現実というコードを踏まえれば、
「迷いの羊と羊飼い」という関係は違った意味で成り立つ。




また、ヨハネによる福音書の冒頭には、
「はじめに言があった。言は神とともにあり、言は神であった。」とあります。
「言」というのは“言葉”のことで、原語は「ロゴス」です。
聖書は“文字=神の言葉”という捉え方なので、古代キリスト教において聖書の写本が制作される中でも「文字」は挿絵以上に美しい装飾がほどこされることもあります。


これをふまえて「羊飼いの旅」に立ち戻ると。



そのような神聖な存在である“文字”を読むことができるのは、ここでは由紀だけ。
由紀が「黒」のなかでも中核をなす存在であることは確かです。



歌詞からの解釈

その配役とあわせて歌詞をみる限り、
「羊飼いは生まれた日から心を歩き出す」というこの一節がこの世界観の真理だと思います。


強いて例えるなら、
「由紀」という人間の精神世界がこのMVの光景だとして、
その心を歩き続けて憂いをみせる「由紀」にたいして、それの裏面としての純真を忘れない存在として、「麻友」がいる。
由紀の“感情”として「白」い羊たちがいて、白い羊から成熟し「黒」の羊飼いへとなっていった“理性”達が羊たちを管理している。




最後の麻友の目線には、無垢さは消え、物憂げな由紀を勇気づけるような強い意志が感じられる。


夢では食べられない」。
大切な“感情”を傷つけないように“理性”は彼らを連れて、心という山を歩き続けるしかない。
その修行のなかで強くなった羊は、やがて羊飼いになれる。
生贄としてホームである廃墟を守り、
部屋と闇の中で瞑想し、立派に成熟すれば土に返り、心の一部となる。
心のなかで黙々と、延々と、明日を未来を探しながら、旅を続ける。


「あの空の真ん中辺り 爪の跡みたいな三日月が取り残されて 白みながら夜が明けてく
 いつかこの場所から 動くべき時が来るよ
 朝露と思い出は永遠のものじゃなくて
 過ぎてく季節の恵み」


犠牲を伴いながら命は生きていき、それでも時間の流れは止まらず、いつまでも繰り返す。


羊飼いの旅」MVの世界には、大きな大きな摂理がこめられている。
それは変化を繰り返し、日々成長を必要とするAKB48という大きなシステムにも相通じるものがあるなぁと。
聖書の世界観から引用した物語であるから、孤独感、メッセージの重みはどのMVや楽曲よりも強い。
宗教的な作品というのはなかなか製作にいたるまでが難航しがちなものだけど、
若干の疑問はおぼえるものの、この世界観に似つかわしい人選。
C/Wとはいえかなり力を入れてもらっていて、ファンとしては嬉しい限り。
曲もしっとりで良いものだし、ライブなんかでも歌ってくれるといいな。エリアKの前例があるので、映像負けはしてほしくないw


あー。長くなった。
一ファンの一解釈ですので、そこは念頭に置いていただいて。
はやる気持ちを抑えて書いたのに、「ブログは論文じゃない…!」と砕き砕き書いてみたら、結局まとまりがなくなってしまったorz
なので、もうあとはみなさんの“読解力”に託しますorz
この映像世界のすべてを読み解けたわけではないですが、美術作品と向かい合うことが常の人間がMVを解釈しようとするとこういうことになります(*´ω`*)という記事でした。