優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

I believe

AIBINGO!、DIVAチャン。
先々週の「やさしいキスをして」【私見こちら:自分のやるべきこと - 優しい気もち】からの準決勝戦
選曲は絢香の「I believe」。




「真面目で、入っていく隙がない」という評があったけど
なんというか、歌い手の人間性みたいなものにまだ寄りかかっている部分があるのかなと思った。


「アーティスト」って“その人”の要素であるべき部分が、歌い方とか魅せ方とかそういう“作品”に根付いたものだけな気がする。
アーティストその人が生み出した歌がすばらしい、という感想の先に、その人の人間性が見えてくる。
けど、「アイドル」は“その人”が歌ったりパフォーマンスしていることに意味がある。
これまでどう頑張ってきたか、どれだけの苦境を乗り越えてきたか、どれだけ素晴らしい人間か、っていう予備知識のようなものが必要なのが「アイドル」。
今、増田有華AKB48っていう立場にいるわけだから、アイドルに徹することが仕事なのかもしれない。
でも「アイドル」と同じやり方で「アーティスト」になれるのかと問うと否。


聴いているうちらファンも、有華が歌う曲!って聴いているのが前提。
AKB48として有華の歌を聴いて好きになったのは自分にも言えることだけど、それは「この子はこれからどんな風に成長するんだろう!」っていうアイドルだったからこそのきっかけだった。




反れた話になるけど、
学部2年で、イタリアのいろんな美術館で作品を観ていた時のこと。
画集やテレビ特番でしか観たことなかったオールドマスターが平然と連なる展示室にとにかく圧倒された。
絵の横にかけてある説明を読んで「これがあの画家の作品かー。やっぱりいいなぁ。」がほとんどだったんだけど、
ペルジーノという画家だけは、「この作品いい!誰の作品だろう……やっぱりこの画家か!」っていう経験をした。
美術史をやっていれば必ず目にする巨匠だけど、弟子の大巨匠ラファエロの影に隠れてしまいがちな存在。
でも、本当にすてきな宗教画を描くひとで、あんなに優しくて美しい聖母マリアを観たのは初めてだった。
そして「この絵…盗み出せないだろうか…」と独占欲にかられた作品も、今のところその彼の、通称《袋の聖母子》という作品だけですwww




話を戻しまして。





選曲。
歌には自信を持ってるけど、まぁ何があってもおかしくないしトーナメントで負けたらもう歌えなくなってしまうという考えのもとで
「やさしいキスをして」を先に歌ってスキルで圧倒して初戦を突破、
表現力への挑戦として「I believe」を歌う計算だったとしたら。



自分のやるべきことが明確に見えたよ。


ブログ記事:今日得たこと
2012年02月18日のブログ|増田有華オフィシャルブログ Powered by Ameba


これに尽きると思う。




たしかCryメイキングで、「女性って泣くときに歌に頼る部分がある」と有華本人が言っていた。
そういう有華は、きっと、絢香とかドリカムとか崇めているMISIAとかの歌を聴いて、感情移入をしてきたんだな。
やっぱりそれは、絢香とかドリカムとかMISIAとかいうシンガーの個性や人間性じゃなくて、彼女たちが魅せる歌に感情移入をしたということだと思う。
“移入”する余地がない、ということはつまり評のとおり「入っていく隙がない」ってことにも繋がる。
確かな歌唱力はもうベースにあるし、DiVAでの活動を通してテクニックも、少しずつだけど積み重ねられている。
あとは自分にしか与えられない表現。表情。
あくまでもそれは増田有華という人間のためではなく、歌う歌1曲1曲のための表現。


“アイドル”は言動で感動を与える人。“アーティスト”は作品で感動を与える人だから。