基本的に落ち着きがない人なので、昼飯の時はそこらへんにある本を手にとってみたりするわけだが
「羊飼いの旅」について考えるようになってからは、研究室で聖書や事典を引き引きしてみています。食べるのも忘れて。
参照しているのは『西洋シンボル事典 キリスト教美術の記号とイメージ』*1。
最近とくに気になった項目が「ろうそく」。
ろうそく Kerze光の象徴。ろうが,燃える芯に溶かされ,火と関係を保つさまは,まさに精神と物質の関係を示すものであり,キリスト教の観念世界では,この光の象徴的意味がつねに重要な役割を果していた。
と云々と見開き1ページ程度の解説が載っているわけですが
興味深いのが以下。
キリスト教の礼拝では,ろうそくは,(中略)それ自体としては宗教に無関係の慣習であったが,使われているうちに意味のつながりが生じ,やがて価値と目的とを得ていった。(中略)その炎は、死者の栄誉と遺された者の慰めのために,天上の永遠の光輝を象徴する。ミサが行われている間,とくに福音書が朗読されるときにろうそくがともされるが,重要なのは慣習に始まったろうそくの使用がここでは象徴的に基礎づけられているのであって,ただ便宜性によっているのではないということである。
前後関係はあと付けになってしまうけど、
「朗読」=「ろうそくが灯っている」というミサの情景からのシグナルが
「由紀が文字を読みはじめるとろうそくの灯が画面に映り込む」=「羊たちの後景で陽が煌めく」という映像効果に現れている。
以前書いた羊飼い記事でこのシーンを挙げたのですが、その根拠になりそうな内容を見つけましたよ、っというね。
キリスト教は美術史とかなり密接に関連していますが宗教学とは区別され、そちらの知識には明るくない自分なので
“ミサ”についてもひとまずとっかかりにとWikipediaを参照してみたのだけど、文字情報だけだとまあよくわからないww
イエスへの礼拝、罪の償いなどの祭儀で、そのプログラムの1つとして聖典を朗読するということはなんとなく把握しました。
そして、この直後に陽菜と玲奈が暗い部屋で、持ったろうそくを吹き消すという一連のシーンに繋がるので、
もし「ミサが終わる」=「黒い羊飼いのつとめが終わる」みたいな意味合いになるのなら、
よくわからなかったあたりも読み解けそう。
ちなみに、ろうそくをもって行列をするのとか、2人が横並びになってそれぞれ燭台(1本ざし)を持つというのも、ミサの時の風習らしい。
これでもし、1番で「由紀がながした涙」=「洗礼の水」のイメージだったとしたら…
なんて考えたらもっといろいろ広がっておもしろいですね。
え、おもしろくない?
(´ω`)
事典にも書いてあるけど、宗教的な習わしから派生して、物や行為に特別な意味がついただけだから
そもそもは象徴としての存在だったわけではない、ってことは念頭においていただいて。
(「たこ焼き」は「たこ焼き」でしかないのに、特定の条件下では「増田有華」を意味する存在である、といった具合です。)
決定的な証言もないわけですし
あくまでも中村太洸の映像に過ぎないので詮索しすぎもよくないのだけど、感想程度に。
世界観の原典との興味深いリンクは尽きないので、また何か発見があったら勝手に書きます(´ω`)