優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

ヘルター・スケルター

ミテキター


本編スタート15分で、貧血おこしまして…(´ω`lll)
座席のシートやひじ掛けにしがみ付いて自分の存在を確かめるようにしながらじゃないと、観ていられなかった…。
ぐったりするほど目まぐるしくて、
画面が明るく華やかになればなるほど、こわい。
息が詰まるほどこわかった。


あの映画を、有華やともや板野さんが観たっておもうと恐ろしい。
お仕事でもご一緒する機会が多い蜷川さんがどんな目で撮影の世界を見ているのか、その断片を目の当たりにしたのかなと思うと、なんだか残酷で…。
でもとても、勉強になる、知っておくべき映像世界だったはず。
上映終了後もずっと疲労感でフラフラになるほどに自分がショックを受けたということは、それだけ膨大で生々しくて重たいメッセージがそこにあったってことだ。


りりこって、みんなの願望の体現かもしれないけど、結局誰にも愛されてなかったんだなと。
唯一慕ってくれてる妹とのシーンだけとても人間くさかった。
「美」っていう不安定なモノに幸福を見出した以上、それにすがるしかないとして、
結局その不安を満たすためには、異常過ぎる代償が必要。ドラッグしかりセックスしかり。
けど、りりこ自身はお金に溺れている感じはなくて、本当に欲しかったものは結局手に入ってないような気がする。


それでもあんなに感情の起伏が激しいわがまま女王様に、どうして周囲の人たちが惹かれていくんだろうって不思議だった。
マネージャーとかスタイリストとかみんな優しくしてくれてたし、彼女がいない場面でも良い面だけを回想してたけど、
結局はそれもこれも自分のための手段だったようにおもう。
あの取調室みたいなデスクに座ってりりこを回想するカットが、あまりに客観的でその感を増す。
甘美な彼女のお気に召すことが至極のドラッグみたいになってて、だからどんな滅茶苦茶な仕打ちされても離れられない。
りりこの躁鬱を支えることで、自分の存在意義を見出してるようにすら見えた。
虚像に惹かれて何かを好きになった気がして、結局は自己愛、という恐ろしい縮図。




とてもショッキングな映画だったけど、
おもしろいとか楽しかったとかそういうんじゃなくて、
この作品は、感性とヴィジュアル重視の消費社会の今を生きているなら、頭に留めておかなきゃいけない問題かと。
「女性はきれいだと便利」みたいなセリフを鈴木杏さんが言ってたけど、そういうジェンダー的な問題も多分に含まれてる。


映像はどのカットも非常に蜷川ールドだったけど、
撮影スタジオで幻覚起こすシーン以降は本当に毒を盛ってきたなと。
シュトラウスとベートーベンのクラシック音楽の使い方も、華やかで残酷。
モンドリアンコンポジションを背景に桃井かおりのような人物を配したあの絵画はどうも解せなかったけどwwwww
美容サロンの受付の背後には、ボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》のヴィーナスの顔がパネルに切り刻まれてばらばらに配置されていた。
「美」を意図的に入れ替えると、まったく恐ろしい印象に変わる。弁護士のセリフじゃないけど、バランスが悪い。
人間の目に美しいのは、どんなに人工が進んでも、究極には自然なんだろうな。





そして映画の感想とはちょっと離れたところで思ったのは。
鏡とか時計とか薬とか蝶とか、それ自体はまったくそれ自体でしかないのに、
いろんな表現があふれる中で
鏡とか時計とか薬とか蝶とかをみて、それ自体に意味を持たせようとしてるのは観る人なんだなと。
映画と観客、りりこと大衆の関係もそうだけど、
存在してしまった目の前のものに、なんらかの意味を見つけ出したいんだろうな。とものすごく何となく思いました。


美しくないと、誰もみてくれなくて、
意味がないと、存在することすら許されないそんな世の中。



りりこの白い肌に浮かび上がった青黒い痣や痕も、羽のタトゥーが入ってるみたいで、綺麗だったけどなあ。