「××の秋」って言い回し、たくさんありますよね。
たとえば「芸術の秋」って、日本の芸術家達がつぎつぎに留学していった20世紀初頭のパリで秋にもサロンを行なうようになったこと(サロン・ドートンヌ)からきているという説があったりしますが、
他はなにを根拠に言ってるんでしょうね。
「食欲の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」とは言いますけど、
「夏」じゃだめなのだろうか。
だって、吹奏楽や運動部の各大会や、オリンピックが行われるのも夏だし、日本では各社の文庫本フェアが最大に盛り上がるのも夏ですし。
秋は暑さが落ち着いてすごしやすくなる…とはいうけど、
夏だってみんなクーラーつけてるじゃん(´ω`)
未読の所持本が溜まりに溜まっているにもかかわらずまた買ってしまった本の1冊である、
三浦しをんさんの『きみはポラリス』(※夏の文庫本フェアで全面的に推されてるもの)を読み始めました(´ω`)
序章で、合コンでおもしろいように遊ばれても「彼女がいうことはぜんぶ本当なんだ」と疑心を知らない純粋すぎる友人に
「そういうのは恋じゃなく宗教っていうんだ」 と言い放つくだりがあるのですが
いやまさかこの俺に限ってそんなことはない(*´ω`*)(/∀\*)
「宗教」ももはや過激派のイメージばかりの非常に傾倒した言葉になってしまっていますが、
「無宗教」は無宗教で問題ありますし、何にもアツくなれず最終的に何も自分に残らないという傾向が強い現代人というのも情けない。
まあ言葉のうえでは360°何とでも言えてしまうのですが、
何を信じるかくらい自分で決めさせてくれよ…って感じですよね。
きっと今一生懸命好きだったら、ずっと好きでいられると思う。
優気の中では、AKB48も増田有華も河西智美も“消費イメージ”ではない。
最近こんなことばっかり気になるな、というのも『へルター・スケルター』の後遺症の強さが否めません。
今日は、TLでの梅ちゃんの発言に一部フォロワーが動揺を隠せない状況に。
メンバーが次々映画館へ足を運ぶなか、梅ちゃんは観たのだろうか…。
そして偶然の運びなのかなんなのか、有華もツイート。
美しさを保つというのは、アイドルというかタレントとしては基本的なことなのかもしれませんが
お金だったり時間だったり精力だったり、代償は避けられないのですね。
周囲の反応だけを気にしてるわけじゃなく、自分が綺麗になっていくこと自体を楽しんでいるようにも受け取れますが、
『ヘルター・スケルター』のあの描写って本当に今この世界で起きている現象なんだね…。
忙しい朝にうぇええいいいや!と日焼け止めクリームすら塗らずに外へ飛び出す自分にしてみたら、
芸能人の是非問わず、世の中の美容と健康に勤しんでいる人々全般的にすごいと思うのですが(´ω`;)
そして実は某ブログのみんみんさんの肌めっちゃ綺麗やん(赤ちゃんみたいで)と思って、洗顔料だけはちゃんと泡立ててがんばってみているのが私ですこんにちは。
ゆみちゃんの感想では、りりこみたいな儚いイメージを消費する側の人々にも一因ある、という意見まで踏み込んでいるけど、
自分もこれまでに追い切れなくなって置いてきたモノってたくさんあるなあ。
自分には“熱されやすく冷めやすい”という性はあるけど
琴線に触れてくるモノだけは、ひたすら好きでいるという非常に重たい傾向があることに気付いたりもする。
振り返ると、ずっと前から好きだったなということ。
好きなものや興味の共通項がみえてくることもしばしば。
学生時代、ケータイを流行りのお笑い芸人やキャラクターの仕様にカスタマイズ(待受とかメニュー画面とか)していたり知人をみて
「これがイメージ消費か…儚い」と思った記憶があるのだけど、
自分にはそういう類の衝動がないな。
単に金がないだけかもしれないけど、そういう一時的なあれ(どれ)にかける資金はない。
先日、テレビ東京の夜のスポーツ番組に紺野あさ美アナウンサーが出演しているのをたまたま知ってちょっと見てみた。
野球の試合結果かなんかの原稿を読んで、番組の最後にちょっと共演者と会話を交わして終わる、っていう程度の内容。
彼女が卒業したのがちょうど6年前なので(そんなに経つのか)、そこからAKBに傾倒していってすっかり離れたなあと懐古しているテレビの前の自分が、
パジャマ替わりに胸に「17」、背中に「ASAMI KONNO」と入ったピンク色のTシャツを着ていることに気付いて。
ハロプロのツアーグッズTシャツは生地が丈夫なので、型崩れや色あせに強く非常に有り難いアイテムなのでありますが、
丈夫なのはTシャツの素材だけではなく、紺ヲタだった自分もなんだと。
忘れることもあるけれど、思い出すこともあったりするし、好きでいた過去は過去で変わらないものだし。
それがアイドルとか物語とかから得た「幻想」*1であるとしても、
自分だけが経験した「幻想」である以上、自分の過去なわけですし。
それが、あっけなく移ろっていく消費イメージだったとしても、なんだかとても堅固な伝統のうえにあるカルチャーだったとしても、
自分が好きになった人やモノには誇りを持ちたいですよね。
(´ω`)
ここ数年で「暇」って言葉をまったく口にしなくなったなという喜びとともに、
その「暇じゃない」自分がやるべきことを消化しきれてないなという焦りもあり。
有言実行できる人になるしか。