優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

朝日新聞 スポーツ報知

昨日9月7日の朝刊に、ウィズのインタビューがありまして。
結構大きい記事だったようで、有華ちゃんのブログで情報を知って落胆した22時。
もうないかなどうしよう…と しどろもどろした後で、サンダルに(高校の家庭科の授業で作った)短パンにDiVATシャツ(2ndの黒)の格好のまま財布を握りしめて家を飛び出し100メートルコンビニした痛い人が私です(´ω`)




画像は有華ブロより。
東京ドームの一連の件で叩かれる中でファンがぼんやりと抱いていた感情を、
有華ちゃんははっきりと言葉にしてこのインタビューで言ってくれています。





東京ドーム公演とじゃんけん大会の参加を辞退した件から。

「(両方に出ないという)最終的な決断は自分でしました。葛藤はありましたけど、長くは悩みませんでした。 秋元(康)先生は、AKBのコンセプトは『自分の夢をかなえるための養成所、学校みたいなもの』とおっしゃっているんですが、日々の活動の中で、それをファンもメンバーも忘れがちになっていたんじゃないか、というのが、私の正直な気持ちだったんです

東京ドームは、AKB48の「夢」だったのか。
否。
何もないステージに蒔いた種がしっかりと上に伸びていけるように提示された「目標」だったのではないか。

テレビやメディアでは(本当に)いつもいつもコピペしたような同じ言葉、同じ言い回しでしか語られない彼女たち。
だけど6年前、5年前の毎日は「夢」もまた夢ってくらいで、
事務所的なしがらみも多い中、得体のしれない何かを信じてこられたというのはとても偉大なこと。


「AKBがダメだったらどうなる…?」
結局、自分を磨くステップという意識がないと身が持たないし、先が見えない。
その思いで初期には、シンガーや俳優として卒業していった年長メンバーもたくさんいた。


そんな時代も目の当たりにしてきた後で、
2010年のじゃんけん大会裏では「AKBはステップのひとつにすぎない」と発言していました。
アンチからはこのような態度が突っつかれるわけだけど、
この頃から増田有華の核心的な部分は、本当にぶれていないんじゃないだろうかと思います。



そういう意味では増田有華の在り方こそAKB48らしい。
有華は本来の純粋な“AKBらしさ”というものを持っていると思います。




二度目の組閣があり、どう変貌を遂げるか未知のAKBですが
WIZを終えて、劇場のステージに戻った有華の心境を想像してみたら、
いよいよ確かな“卒業”の足音が聞こえてくるような。


けど、それは悲しいことではなく。
もちろん、辞退や不慮の卒業は残念なことだけど、
「卒業」ときいて悲観し、時を待ちながら「感傷」的になり、事が終わると「懐かしさ」に浸る。
そういう態度の表明がすべて偽善のようで、本当に嫌い。
特に、自分が今まで推してきたわけではないメンバーに関してそういう態度をとることが。




「いつもそこに居た人、あるいは好きな人が居なくなること」が悲しいんじゃなくて、
「好きな人がいなくなって変わってしまう自分」が怖いんじゃないの?




増田有華は消えない。
いなくなっても変わらずにいてくれる。
そう信じさせてくれたのは、他のだれでもない有華だからだし。


だから
いつ何があっても、
「いやだ」はもう言わないです。