「ヲタクって何だろう」をAKBの現場変遷に沿って考える。

親愛なる変態にゃーさんが面白いブログを書いていたのでそのバトンを継がせてもらいました。
にゃーさんのブログ記事⇒「良いヲタクって何だろう」

私は幸いにも東京にほど近いところに住んでおりますので秋葉原へのアクセスは良いほうです。行ける現場は多いけど、行かないことも多いし、どちらかといえば在宅寄りのヲタクなんだろうか…。
一言に「現場」といってもAKBヲタクである間にいろいろあったなと思ったので、ちょっと振り返ってみる。
なお、以下書くことはあくまでも当時の私の目に見えたという話ですのでご容赦ください。まあ個人がつらつら書いてるだけのブログであって、ジャーナルでもルポルタージュでもないのでその点ゆるく見ていただけると幸いです。


2007年

買い手市場だけどその分マナーがとても悪かった。生写真付きBLTの発売日にはロビーに雑誌の山が置き去りにされていたし、ヲタクはすぐ叫ぶからメンバーも怖がるし音楽と手拍子ずれるし() 私が最も幻滅したのが、サラリーマンのファンが劇場で「チケットクソほど残ってるんだから買ってこいよ」と仲間に促してるのを耳にしたことでした。この趣味は財力が物をいう世界なのか…と思い知りました。
ロビーに続く廊下の壁(今チーム8の壁写が貼ってある場所)に、劇場公演入場回数が100回に達して殿堂入りを果たした人達のMVPネームプレートが掲げられていました*1。そうすると劇場公演にビンゴ抽選より先に入場できて知り合いに見せつけられるし色々とおいしいので、みんなそのMVPを目指していました*2。だから、自分の予定が合わない時でも自分の入場回数を増やすために、購入したチケットを知人に与えて代行入場(不正)を行うファンまで出現していました。チケット購入時に紙のブレスレット、紙ブレスを付けたくない人は手にブラックライトで光るハンコを押されて入場直前に付けていた時期がありますが、あれはチケットを買った本人を特定するための代行入場対策です。メール抽選に当たるか運に左右される現在となっては本当に信じられないことです。
殿堂入りできるのも、お金のある人だけ。そういう人はだいたい握手も死ぬほど行ってるからメンバーの認知をもらっている。私の知る限り、周りで目立っていたのはそんなのを目指してるヲタクになりたいヲタクばっかりでした。私はただ彼女たちのステージを見たいだけなのに、お金のない人はヲタクとして息することすら苦しい現場の空気で、ピンクチケットで劇場に入る人はヲタクとしてレベルが低いと軽視されていました。同時にその頃、チームAのメンバーが一斉に卒業する出来事がありました。どんどん嫌気が差していって、結局数ヶ月で劇場に通うことをやめてしまいました。それ以降も年に一度くらい友人に誘われてロビ観したり公演に入ることはありましたが、自分から通うのはやめました。


2011-12年頃

それから栄華を誇ったAKBの現場に私が戻ってきたのが2011年のことです。Beginner MVの衝撃的なニュースや、セブンイレブンとの商品コラボ、PSPのゲームなどきっかけは色々ですが、AKB48がアイドルの頂点にのぼり詰めたからこそ戻ってくるきっかけを掴めたと思います。「握手券のついてくる劇場盤CDを買うための抽選サイトがあること」「チケットは秋葉原の通りに並ばずにチケットセンターから買うこと」は友人から噂に聞いてましたが、実際に自分の手でやったのはこの時が初めてでした。
現場で思ったことは、まずファン層が変わったこと。小さな村みたいな閉鎖的な人間関係は見えず、新しいファンの人が増えたんだなということでした。そして時代の潮流として「ヲタク」が世間に浸透していました。いってしまえば「ヲタク」という言葉が一般大衆に拓けて、「ヲタク」を名乗るハードルが下がった。だからズボンにシャツインしてハチマキ巻いてるような典型的なヲタクのイメージはどんどん薄れていっていた。
そしてそれと同時に、お金がないファン/ライトファンでも居やすいというプラスの印象がありました。チケットが欲しくても当たらない、握手券も確保に限度が見える現状だから、自分がローペースのヲタクだとしても浮かない。私にとってはとても良いことでした。
学生だったからお金がなくて握手券はいつも数枚しか持っていませんでした。でもそれでよかったのは、私は握手が苦手だから。握手会の現場にいくと知り合いに会える(し今ほど規制厳しくなかったからそのためだけに会場推ししたりもした)し、私が推していたのが増田河西という握手に癖のありすぎる2TOPだったこともありますが()、握手するよりもロビ観で実況したりMV何度も観て物思いに耽ってる方が楽しかったからです。その後まりんちゃんとの握手を経て握手会の楽しさを知ったくらいの人ですwもし当時から現場行け行け至上主義で握手が強要的文化になっていたら気持ちが耐えられなかったと思います。
それに劇場公演についても当時は全然チケット当たりませんでしたけど、ロビ観にハマればハマるほど、仮に公演に当たって場内に入れたとしたらロビ観実況できないんだよな…とまで考えるようになっていました。干されヲタの戯言と思われても仕方ありませんけど、良い言い方をすれば1等級の現場(劇場、LIVE、握手会)に行かなくてもヲタクとして楽しめることがたくさんあるとこの頃に納得することができた。オンデマンド等のウェブコンテンツ、メンバーが発信するSNSやブログもあるし、ファンはツイッターmixiで密に繋がれる。現場に身体がなくても楽しめる環境は十分整っていると感じました。

2014-今

そして今。AKBは本当にいろんなことが変わったが、運営クソだなっていう感想は今までのどの時代よりも感じている。メンバーを生かし切れていないし、劇場公演は義理でメンバーまわしてるくらいの熱量しか感じられないし、イベント企画なんてマンネリだし企画もグッズもひどいしこんなんに何Kも払うかよってくらいには運営がただお金回収組織になっていて、金額以上のものを提供してくれる確率(いえば満足度)が下がっている。メンバーはマネーゲームのコマですか。口が悪くなってきたので以上。少なくとも私は。というわけなので、運営の言葉は価値観の指標にしたくない。
そんな現状なので、お財布が多少なりとも潤ってきたとしても、私が楽しみたいのは劇場公演とたまの握手、大箱ライブ、MV。これに変わりは無い。なけなしの握手券と、たまに当選して入手できるチケット、本当に欲しいと思ったグッズしか買いません。なんでもかんでも買わなくなりました。経済的な理由がないといったら嘘になるけど、収集癖のようなものは失せました。現場を見れればブログが書ける、メンバーの投稿(そういえばSNSはどれも無償でやってるよね)を眺めて脳内お花畑を満開にしてSS書くのが楽しい。そんなへそまがりというかちょっと変な人なので傾倒がある可能性がありますが、私のヲタクの熱量は、現在自分で選んでこのくらいです。

紺ヲタの頃(2001-2006)

ここまで書いてふと思い出したこと。紺野あさ美さんを推していた頃、知り合いのヲタクから「おまえはもっと現場に行って紺野と握手して人生変えてこい」と言われたことがあります。結局その時のイベント(握手あったのはたしか色じれのリリイベ)には行きませんでしたけど、その当時も今でも特に後悔はしていません。その頃は部活が楽しかったし、既にSSを書くことに楽しみを覚えていた(後紺と吉亀が大好きな変態でした!)から、現場に思うように行けなくてたとえ年1でしか行けなくてもまあよかったんですよね。
もしこの頃の私を「ヲタク」と呼ぶことができないとしたら本当にただの変態でしかない()んですが、FC入ってたし今ほどコンテンツがないのでCD,DVDはマストアイテムだったから、「ファン」くらいでは居られたのかなぁ。そんなこといったら中高生のヲタクなんてほとんど存在できないんじゃないですかね。

現場のおこぼれ

先の2007年の項目のところで「生写真付きBLT」のことを書きましたが、ある時表紙はAKBメンバー仕様のものが3種類ありました。私はBLTの列に並ばずにその日の公演のチケットを買って、劇場のロビーに出ました。BLTの列には並ばなかったし生写真も集めてないからいいんだけど、この雑誌気になる…とも〜み表紙にいるし…と、どこかのヲタクがベンチの下に置き去りにしていった山の1冊を立ち読みする気持ちで眺めていたら、ロビーを片づけていたスタッフが「それ処分しちゃうんで持ってっていいですよ」と声をかけてくださって、図々しいながら持ち帰らせていただいたことがありました。
今も同じことがあるとすれば、劇場盤生写真の無償進呈だったり、大量買いしたCDの無償配布(布教)とかでしょうか。お金を払う人がいれば、影でこっそり恩恵を受ける人もいる。こういう階層があることはいつの時でも忘れてはいけないことだと思います。

ここで「在宅はクソなのか」を考える前に、「現場に行かない=在宅なのか」を考えたい。

いや行ってるじゃん。現場行くじゃん。昨日行ったばっかじゃん。3月の写メ会は行かないし今度の16期公演はチケセン干されたけど。
俗に言われる「現場に行く」=「推しが出るすべてのイベントを干さずに行く」ってことに暗黙の定義がされちゃってるじゃないですか。それでいて「現場に行く」or「現場に行かない(=在宅)」って、100か0かの二択になっているのではないでしょうかね。これは非常に極端です。
その間に1-99のゾーンがありますよ。CDを買って曲を聞いたり映像見たり、モバメとってみたり、オンデマンド会員になって公演観たり。チケセンと連携させてるmobileと二本柱も年会費払ってますね。公演当たらなくてもcafeにいって当たり外れのある食事をとったり、グッズの購入はshopでもnetでもできます。レベル感は違っても小額だけど払っているじゃないですか。現場に行かなくたって支払う(支えるために払う)ことできるじゃないですか。
もちろん現場に行ってステージを観たり、会って話をしたりするのは楽しいと同時にメンバー達も(あるいは運営も)目で見て、ファンの盛り上がりがわかる。だから「現場に行く」を最上級に据えるのは理解できる。しかしその下は定義できないのではないだろうか。行きたくて行かない人もいえば、行かないと決めて行かない人もいる。行かなくても、1-99の何か行動をしていれば(興味を持っているレベルでもファンと呼ぶことができるなら)「AKBが好きだ」を辞めたことにはならない。
AKB48が好きだ」を辞めない限りメンバー本人達へのリプライやコメントやお手紙は止まらないだろうし、何かしらの出費は発生するだろうから、すごい綺麗事になりそうだけどAKB48が好きだ」=「良いヲタク」になれる可能性はいくらでもあるのではないでしょうか。完全にイコールにしないのは、AKBが好きなだけで迷惑をかける厄介もいるから。どうだろ。


にゃーさんが書いた「在宅はクソ」は、あくまでも自身のヲタク的戒めとしての解釈でそう言っているようです。出不精だから現場にいこうぜ!のためのスローガンだとしたらこの上なく良いものだと思うし、にゃーさんは変態同志なのでこれからも元気に現場をともに出来たらと思っています(?)
そうやって個人的に考える分には決して間違ったことなどではないと思うのですが、それを一般論に落とし込もうとするヲタク思想があって、それについては本記事にこれまで書いてきたように非常に危ういことだと私は考えます。
それでもいつの時代にもこんなような議論が絶えないのは、歴史がくり返しているからではないかと思います。いつの時代にもいろんな年齢層、階層のヲタクがいて、ヲタクとしての自分の存在を肯定したい故にいろんな論争が繰り広げられているのではないかと思うんです。それはある意味で「つぎ込んだお金に比例してヲタクはアイドルから愛される」「在宅はヲタクじゃない」が完璧には証明できないことの証拠なのではないだろうか。だからこの議論に決着が見えない。

ヲタク

ヲタ歴、つぎ込んだ額、チケットの枚数、劇場に入った回数はテレビでヲタクを特集する時にもよく参照される情報です。これに共通しているものが何かお分かりでしょうか。「数字」です。わかりやすいものが評価軸のほうがいいんです。「おとなは数字が好き」だとサン=テグジュペリが皮肉って書いていましたね、唐突なファンタジーで申し訳ないけど*3
だからどんなに綺麗事だとしても私は自分の目と価値観でAKB48を応援して見ていきたいですし、たとえ現場に脚を運ぶことがなくなっても一気に0になるのではなく自宅での活動(オンデマンドとかモバメとかそういうの)は続けると思いますから、AKB48の何かしらを愛でている限り私はヲタクだと胸を張って言いたいです。*4


*1:確か100回入場以降は、100回ごとの更新でしたっけね。

*2:現在はウェブサイト掲載に完全シフトされました。⇒AKB48公式サイト|チケット|MVP

*3:『星の王子様』

*4:註ですが、おまけとして「こいつは何を意味のわからない綺麗事を書いているのだ」と思った人のために書いておきたいことがある。私はこのブログに好きなものについて憂えたり、視点を限定したり、ああしろこうしろと苦言を呈したりすることを極力書きたくない。なぜかというと、もう既にそういう憂いや苦言に満ちた言葉をうんざいするほど聞いてきたから。そんなことはにちゃんねるやまとめサイトツイッターに沢山書いてあるから。だからここには、今まで形になっていなかったと思った感想や、もやもやしたこと、少数でも大事なことを書きだしたい。核としても、好きの気持ちを基盤にして書きたい。それをたまたま見た誰かが"これでいいんだ"と肩の力を抜けるなら、例えそれがはずれた答えだったとしてもそれでいい。