優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48祝20年

革命ミュージカル 新・幕末純情伝【20250808-20250824@紀伊國屋ホール】

5月のぴあアリーナMMで発表があった、彩希ちゃん卒業後最初の大仕事。昨今の演劇にしては珍しくガッツリと長めに上演期間がありましたが、私は3公演ほど楽しませていただきました。

 

周りのヲタクから「つか作品だから気を付けろ(要約)」と言われていただけあって、大変にぶっとんだ「革命ミュージカル」で最初は目が回りました。

「革命を起こすミュージカル」と謳われていますが、その実は「意識を既に革命された演者たちがお送りするすげー革命的なミュージカル」とでも言ったほうがいい。

 

※本ブログはいわゆるネタバレを含みますので、気にする人は閲覧注意でお願いします。トピックは以下の通りです。

■作  つかこうへい
■演出 岡村俊一
■出演 村山彩希/百名ヒロキ/柳下大細貝圭、青木瞭、嘉島陸、佐久本宝、久保田創、小川智之、杉山圭一、河本祐貴、小柳喬、大石敦士、伊東陽光、平塚翔馬、小川優

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高低差耳キン

くっそ下品なシーンとくっそシリアスなシーンの差が凄すぎて感情の起伏がすごくて、いったんぶっ壊れて、でも最後は結局ストーリーに引き込まれるんだからおもしろい舞台だなと思いました。

 

桂と土方の「総司と坂本」を思い出すシーンから始まり、総司が二川で拾われるシーンまで遡るわけですが、そうして大きくなった沖田総司の登場の殺陣がいきなり ♪フライングゲット だったので、令和時代の常識は通用しないミュージカルであることを悟りました。新撰組の舞台観行ってフライングゲット聴くことになるとは誰も思いませんよ…()

殺陣withフライングゲット

新選組壱番隊長 沖田総司

デモクラシー後の夢を語り合う中、総司の夢は「お嫁さん!」。この言葉が本当なら「兄上、なぜ僕を男として育てたのですか?」と剣を交えながら問うた言葉が困惑ではなく悲しみに思えました。一方で一人ぼっちだった総司が、河原で出会った土方に「農民に労咳は移らない」と言われてその言葉を最後まで大切にしている姿は微笑ましくもあり、切なくもありました。

こうして総司は土方に連れられて(もちろん)男だらけの新撰組に迎え入れられるわけですが、金銭を得るために人を斬る殺陣では、まさかの「めざせ!ポケモンマスター」。みんな揃って「⚫︎両、ゲットだぜ!」じゃないのよw 私が小麟だったら泣いちゃうね(?)。

 

アドリブ部分メモ

【8/9】新撰組Tシャツに早替えするときに袖を通した後、ジャンプしながら着てたのがかわいかったです。相撲がみんなの競技になるという下りで、そうしたら総司のまわしをグーーーー!!”と引き上げるジェスチャーに村山総司、ツボったのと多分引いたのとで上手袖に捌けかけてました。戻ってこい大丈夫だからと言われてました。

【8/21アドリブ】坂本がアプローチしてくるシーンで、会いたかったとかAKB楽曲をたくさん覚えて延々歌ってくれていて「誰か止めてあげてw」と客席に笑いながら声かけて、「なげぇよw」とつっこむっていう。坂本さんぜぇぜぇして疲れてたの笑った。嬉しかったし楽しかったですね。

【8/21】新撰組に入るにあたって語った実績は「1358回ステージに立ってきました!」。相撲が男だけじゃなくみんなの競技になる!って夢を語る話の時は、あまりにも技の勢いが強すぎて、村山総司ドン引きして壇上に逃げてました。かわいかったです。

3サイズを聞いて「ネギじゃねえか」とYポーズで写真撮ったりして。写真集の名前は『レッツゴー研究生!』とか言い出して「今日観に来てるからやめてw」とガチツッコミしちゃったりとか(前後の席にくるみちゃんと岩立さんが入っていったのは見かけました)。

 

岩倉具視

岩倉の「限界突破×サバイバー」めっちゃ好き。アガるし、この舞台でのキャラに最高に合ってる。

こういうキャラの描写にされるのって、何か逸話があるのかな? それとも具視って名前に女性感を覚えたからそうしたのかな……とかいろいろ考えたんだけど、多分意味ないんだろうなwと思って考えるのやめたよ。具視はあれがいいんだよ。

 

村山総司

坂本と出会い、助太刀に登場してそのまま去っていっちゃった時に、女心がわからないなんてと呆れながら、労咳を抑えた右手についた血を小指にとって紅のように唇に引くシーンのなんと美しく、切ないことか。その後の少し嬉しそうな顔からぐしゃぐしゃに涙する姿のなんと寂しいことか。血はあの時代にもっとも身近な赤の化粧具。剣術で手を豆だらけにするでなく、お茶やお花を習いたかったよね。憧れるよね。

…その夢、来世で叶うよ総司。あんた薪岡家の子に生まれるよ。村山総司はこいさんに生まれ変わったんだ(この件あとでもう一回出てきます)。【ここに2024年の朗読劇「細雪」の感想ブログリンクを貼りたいがまだ書き終わってないという衝撃の事実】

 

愛する坂本に労咳を移していたことを悲しむ姿。下手したら、坂本を斬ることよりも悲しんでる。総司が労咳で呼吸器系を患っていたことは、重度は違えど彩希ちゃんならわかる苦しみだけに、坂本との最期のシーンは切なかったな。

 

B'zが流れるあのシーンで二人が交わったのか否か。坂本が死ぬ直前、最期の幸福に浸れたのかそれとも力尽きたのか、なんとも言えない曖昧な表現をする。少なくとも総司と重ねた腕は脱力していた。観る者に委ねさせるなよ、ずるいぞ

 

新撰組の手のひら返し

大政奉還の条件として、新撰組の首を言い渡されるシーン。

舞台奥から登場した総司の涙の流し方が、最初に観た日は尋常じゃなかった。エネルギーを使う泣き方で感情が乗りすぎじゃないかと心配になったけど、日程の後半ではコントロールできるようになっているように見えて、上演期間中の成長の凄まじさを目の当たりにしました。

 

自分の命かわいさに、新撰組の仲間たちが「俺は殺してない、総司が殺したんだ」と裏切り本音を吐く。首を取ってきたとわかったら自分だけの手柄にするつもりかとどなりつけ、今まで総司の労咳をひどく恐れ軽蔑していたこと。心を許した土方の「農民に労咳は移らない」という言葉を支えに生きてきた総司を叩き、恐ろしくてたまらなかったと嘲笑われる。

どのくらい本気だったんだろう? ついさっきまで総司と一緒に肩を組んでみんなで「ケセラセラ」を歌っていたじゃないか。かわいい女の子だともてはやしたじゃないか。あの時間は嘘だったのだろうか? 総司が可哀そうで、ちょっともう見てられないくらい辛かった。(ここで妄想の続き)それこそ、来世では総司の人生が報われて夢が叶って、蒔岡家の末娘として愛されて、素敵な恋をしてお嫁さんになるんだ。辛いことはあるけどそれでも素敵な男性と恋をするよ、きっとそうなんだ……と思い込むことでしか辛さを落ち着けられないくらいにはしんどい。この観劇で湧き上がったやり場のない虚しさは、そんな妄想で紛らわせるしかなかった。

 

もしも自分が総司の傍で生きた人間だったとしたら、私は"坂本になれる"だろうか? それとも”土方になってしまう”だろうか? そんなことを考えていました。

 

坂本龍馬

なんだかだんだん坂本がかっこよく見えてきて仕方がないんだよな…

ジャージの下に赤ブラしてパンティ履いてエッのことばっかり考えてるやつだと思っていたのに…。最後の最後に、故郷から桂のためにおみつを連れてきて結ばせた下りは響きました。坂本の人格を物語るシーン。

 

そして序盤に描写された勝の父親を総司が斬る何気ないシーン。父親殺しの憎しみを抱き続けた海舟だったが、父の月命日に墓を綺麗にし花を手向けていた総司がしていたことを知って慄くシーン。これもまた、総司の優しさ故ですね。

でも桂も海舟も、すべてを知ったのは坂本の「死」が確定した後。赤い柄に菊一文字の刀とともに捨てられた総司を「切り札」として男として育てて坂本暗殺に使った後。

もうどうにもできない。これが政。

 

総司の最期について(私見

坂本に桂を任されたから、桂に襲いかかる二宮の背中を斬った総司の悲しそうな顔。

坂本に関するときの表情。気味悪がる表情、恋する表情、女心に気づかない鈍さに苦笑いしながら涙するシーン。斬れと命じられたやけくその表情。やけくそなのに切り替えしたときの瞳孔の鋭さ。

勝海舟は総司が菊姫様であることをわかっていた。そのうえで総司を男として育てたのは、坂本がいずれ邪魔になったときに殺すため。なんて残酷な運命だろうか。

 

総司が「土佐の龍の子を身ごもった」と伝えて燕尾服をまとった政府の者から一斉射撃を受けて死ぬ。この舞台作品はこのシーンで幕を下ろす。

総司の最期は、自殺行為だったのではないかと私は考えてしまう。

 

男として保守的な土方ではなく、総司の女性としての立場と幸せを考え行動してくれる革命的な坂本に、総司は寄っていた。これから訪れる新しい世界を受け入れようとしていたのだと思う。

それが土方だけじゃない、新撰組みんなの裏切りで一人ぼっちになってしまった。あの時の優しさも恩義も全部嘘。そして気持ちを許せた坂本は、命令によって自らの手で殺めてしまった。

総司にはもうこの世に生きている理由がなくなったのだと思う。軽率に「自分が総司の立場だったら」と考えてしまうが、やっぱりそこには絶望しか私は感じられない。

二人がまぐわうシーン(先述)の描写の通り、総司が龍馬の子を本当に孕っていたのかも怪しい。だから総司は最後まで坂本に寄り添いたかった、=死を選んだのではないかと思う。

決定的に残酷な運命を突きつけた上で、いろんな曖昧さが残った舞台だからこそ、そんな想像の余地があって、観劇後もしばらくはこのミュージカルのことを考えたりして。最初は衝撃が大きすぎたけど、(めげずに)複数回観たことで考えさせられた作品でした。

 

つか作品に向けられる批難

ファム・ファタル」ではないよね?

いいの、下品なのは。後で書きますがちゃんと理由があるのわかってるから。

それより1つ、パンフレットの鼎談で「ファム・ファタル」って単語を出されていてその後でどちらとも取れるような言い回しをしてて、ちょっと混乱を招く気がする。私にはこの劇中の総司が「ファム・ファタル(男性を魅了し破滅に向かわせる女)」には見えなかったです。

 

この単語本当にきしょいんですよ(口が悪いぞ)。世紀末美術を学べば学ぶほどきしょいのは、当時が男画家優勢の時代だから。男が女に勝手に恋焦がれ、勝手に崇拝し、勝手に妄想のはけ口にして、ファム・ファタルに「した」んだから。女はただ生きてただけ。総司もそう、ただ男として生きた女だったってだけ。国は違えどどこでも同じこと。

だけど私が好きなきしょい(口が悪いぞ)作品の『死都ブリュージュ』もまたこの単語で括られる代表作なので、そういう私も気色悪いと思いながらも惹かれてしまう。そういうものってあるよね。(そうですね)

 

確かに女に生まれ男として育てられた総司はその美貌から、様々な男たちの心をつかんでいくわけですが、若い男たちの社会の中に「男として育った女」が1人で紛れ込んだ時点で目を惹かないわけがないじゃないですか。

言い添えるなら、実際の1860年台の日本に同じ環境があったとしたら、総司は舞台で描かれている以上にもっと残酷でひどい扱いを男たちから受けていたのではないかと推察します。それこそ人権なんてない、バカにされ愚弄され、男のおもちゃにされてたでしょう。平民に娯楽なんてそうない時代だったはずですから。

そして逆に、もし脚本上で史実よりずっと美化して当時の男女観が描かれたとしたらそっちのほうが事実誤認につながって問題なのではなかろうか。

 

そして、総司と土方の昔の関係に関して。

史実としていつの時代までか調べてないので曖昧な記憶ですが、昔は「接吻」は不衛生で印象がいい行為ではなかった(=接吻は一般的な恋人同士のコミュニケーションではなかった)と聞いてるので、総司の労咳が口移しで感染するという背景は現実的ではないのではないか? とは思っている。

どちらかというと同じ鍋をつつくほうが怖いというのは一理ある。…となると、「小皿に取り分ける」という発想は当時はなかったんだろうか。人数分の皿も持てないほどに農民が貧しかった可能性もある。それに、一つの鍋を突くこと、同じ釜の飯を食うことが美徳とされるような、「和」を重んじる日本文化に対して、総司ひとりだけ食事の盛り方を分けるのはそれこそ差別的な態度と感じられていたのかもしれない。

後の時代には、労咳筋であることが知れ渡り村八分にされて惨殺を行った都井睦雄がいるくらいなので、それ以前に生きた総司はもっと酷い差別を受けていた可能性もあるのかな……。などという何のフォローにもならない独り言ですがここに書いておく。

 

 

フィクションを楽しめ

そして大前提としては事実も何もなく、あくまでもこの劇の脚本は「史実を基にした創作」であって、その背景設定も含めてフィクションとして楽しむべきということです。フィクションだから、安心して楽しめるんです。

 

正直私もつかこうへい作品の下品な描写は最初はしんどかったし時代錯誤も甚だしいとは思ったけど、脚本上の「時代錯誤してる部分」を書き換えてしまったら、この「もしも沖田総司が女だったら」というifの物語は描ききれず、大変味気ないものになってしまうのだと思う。令和になってそんな批難が膨れ上がるだろうことは承知のうえで、それでも若手の登竜門的に上演され続けてるわけですから、「作品」として価値があるのだと思います。

 

その古臭さを少しでもやわらげようとした抵抗の結果が、J-POP殺陣だったんじゃないかななどと思う。アラフォーに片足つっこんでる私の世代でも、昭和歌謡の歌詞やデュエットソングに見るような男女観には嫌悪感があるので、(過去作を存じ上げないのですが)劇中歌もつかオリジナルに寄せていたら、もっと時代錯誤の色は強く出ていたんじゃないかな。

 

村山さん

それより何より、彩希ちゃんがAKBとして活動する中で「かわいいけどかわいいと思われたくない」、かわいいだけじゃない、かっこよく大人っぽくありたいという意識を持っていたこと、ファンなら知ってるじゃないですか。(持ってたよね…?w)

そんな村山さんが、この「新・幕末純情伝」という作品の主演のオファーを受けた。どんなにきわどい表現の台本でも、実は女だったという沖田総司という空想の役と向き合った。

この事実以上に、いったい外野が何を言えましょうか。

 

その信念は村山さん演じる「沖田総司」の中に通底していたように見えて、総司と彩希にいろいろと被るものがあり、彼女が引き受けた役として非常にマッチして見えました。

優秀な剣士として生き延びる根性、礼儀を忘れない優しい心、女性として生きることへの憧れは忘れない健気さ、それゆえの健全な殺気。マジムリ学園のケーニッヒとはまた違った、生きるために身に付けざるを得なかった殺気。

男として、男の中で一人生きる総司の女としての怒りとか、悲しみとか、ぶつけてきましたね。それは残念なことにそれから150年以上が経った現代日本でも無くなってはいません。薄らいだり、差別する思想に対して軽蔑するようになったり変化はもちろんしていますが、口先だけではいくらでも自由を唱えられるようになったとも言える。結局、差別はなくならないものです。仮に解消したとしてもきっとまた他のことで差別して、優越に浸りたい人というのは生まれてくるんだと思います。

そんな不条理に立ち向かって、立派な沖田総司の姿を演じた村山さんは本当にかっこいいです。素敵でクレイジーな舞台に出会わせてくれてありがとうね。アツい夏でした。限界突破は今でもお気に入りで聞いてます。岩倉ver.配信されないかなー

メトロ新宿駅からの紀伊国屋書店入口にあったポスター

 

なんてだらだらと時間かけて書いてたら

次の彩希ちゃんの舞台出演が決まったわよ!

つかこうへい作品にまたお呼ばれしたようです。坂本と一緒です。来年の楽しみが一つ増えました。ありがとうね彩希ちゃん。

…またフラゲ歌うのかなあ……w

 

rup.co.jp