優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

青少年健全育成条例改正案【東京】

asahi.comから


2010年12月15日19時15分
性描写漫画販売規制 東京都の条例改正案が可決、成立
http://www.asahi.com/showbiz/manga/TKY201012150417.html


2010年12月15日15時6分
性描写漫画の規制条例が成立=付帯決議で「慎重な運用を」―都議会
http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201012150069.html


2010年12月15日18時6分
都条例成立に抗議=出版団体
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201012150079.html

愛媛新聞
特集 社説 2010年12月16日(木)付
都の漫画規制条例 守ったものは子ではなく大人
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201012160373.html

mixiでもTwitterでも連日話題にのぼっている大事件なのでまとめてみた(自分用)。
この条例にさいしての都議会では「同性愛を違法にできないか」などという声もあったよう。
都には現実を見ていないとんでもない議員ばっかりいるようだ。


漫画の性描写の話と、同性愛者の話とはまた別の話になるけれど
読者がえらんで初めて手にとって内容に触れる、漫画という「書籍」を規制するよりも先に、
いつ誰が目にしてもおかしくない「テレビ」などの報道メディアでの制限をするのが一番先なのでは、と思うのは私だけ?
コミケなどのサブカルチャーと同性愛が許せないという、石原慎太郎の個人的で感情的動機なだけなんじゃないかと思う。
こんな主観的で暴挙的な条例があっていいのか?
こんなに批難されているのにそれでも姿勢を変えないその強気は一体どこに根拠があるのか?


今日、性暴力などの深刻な問題もある。性教育のあり方も考えなおされている。
“家族”という枠組み、そのなかでの兄弟姉妹の少人数化、祖父母などとの同居が希薄になることで、家族の“異性”との関係が希薄になり、体力や肉体的な性差を体験する機会が減少する。
これまでの“家族”のかたちのなかで個々が体験することで習得できていた“性”は、今日の家庭の現状では難しい。
それは家族の形態が変わったことというよりも、家族のなかでの人間関係が浅はかになってきているためではないかと思う。
信頼できず気持ちが歩み寄っていない状態では、会話も生活する上で必要最小限になるし、こんな(“教育的な話”とは言いたくないけど)まじめな会話はできないんじゃないだろうか。子供のほうが「説教くせー」とかいって離脱するのがオチだろう。
自分も思春期にわりとそうで、説教くさい父親を避けてきた。けど、本当に大切な話は嫌嫌な態度ながらもちゃんと聞いたし、父親が離してくれなかった。


中高生の「性」への関心は、自らの肉体の変化と伴っていることだから、絶対に抑えられるものではない。
けれど、抑えられないからといって、外部からの情報を遮る必要はないし、
その“情報”が氾濫している現代だからこわいからといって、隠蔽する必要もない。
本当に必要なのは、その情報の真贋を見極める力、正しいこと、間違えていること、他人の迷惑になることを判断する力を教えることではないだろうか。
それを教えるはずなのは、本来、学校の保健体育ではなく、家庭のはずだった。
その家族が崩壊している。学校だって授業だって崩壊している。こどもの心も崩壊している。
まずはこの“崩壊”をどうにかすべきだろう。
石原慎太郎が早急に対策をとるべき事項は、そんな個人的な意見よりもほかに山ほどあるはずだ。