文学フリマ

東京流通センターで行なわれた「第十五回文学フリマ」を散策してまいりました。
思ったこと、ほぼ自戒。

※画像は増田有華さんのブログに掲載されたニューヨーク、タイムズスクエアの様子です




同人誌の即売の会場に足を運ぶのは今日が初めてだったのですが、
アピールの難しさ、お金をとることの険しさを痛感しました。
コミック・マーケットのように(良かれ悪しかれ)一瞬で伝わる絵という視覚表現でない分、
手にとってページを開いてみないと、どんな作家でどんな作風なのか、自分の好みなのかもわからない。
活字になればどんなものであれ、とりあえずは立派に見えてしまう。
「言葉」という記号にはそういう無個性なところがある。


それでも、手身近に検索できて大量の情報を入手できるインターネットが社会の核になっている今、
「言葉」の力を信じることは間違えではない。
だからこそ、そのパワーをコントロールし、発言のひとつひとつに責任を持つようにならなければ、
その文化で育った人が堕落していくだけだとも、一歩ずれたところで思いました。




創作物について。
文学や文章のほうになると、アニメや漫画の二次創作というケースも少なく、
設定やなにやら、作家のオリジナルが多いらしいという印象を強く受けました。
なくはないようですが、
3次元の女子アイドル、小説となると希少なようです。
疎い自分なのでリサーチ不足ではありますが、ふらりと行ってみた今日の会場では出会えませんでした・・・。




私事になりますが

10年近く前、そうモーニング娘。の熱心な(在宅)ヲタだった頃。
当時のメンバー15人版の『バトル・ロワイヤル』を書いていた頃。
女性アイドルという3次元の二次創作、しかもSSの需要はほぼ皆無でした。
娘。飼育なる巨大SS掲示板がありますが(途中まで投稿して空中分解)、
作品を載せる個人ブログも持たず、無責任なマスターベーションの共有みたいなものでした。


原点のファンがあってこその二次創作。
まさかこんなにアイドル文化が進むとは思いませんでした・・・。


Twitterで「SSブログをやってる」とツイートした時の反応の大きさにはとても驚きました。それも女性ばかりで。
GIDジェンダーの捉え方についても大きく変化しつつあると思います。もちろん、まだまだ足りませんが。
「百合」という現象が、いわゆる「腐女子腐男子」という垣根を越えて、ヲタク文化各界にあるていど根付いていると感じました。


音楽、演劇、舞台、アニメ、スポーツ・・・・・・何にだって挑戦する彼女たちは、広告塔にすぎないのかもしれない。
けれどそれをきっかけに、興味の幅が広がるのはとても素敵なことだと思います。
その広がっていく関心の中に、彼女たちが引き受ける仕事ではないですが「ジェンダー」という根本的な問題があると思っています。
女の子だけのコミュニティー、同じ女の子たちだけの毎日、プレッシャー、消費社会、葛藤、支えあい・・・などなど。




インターネットカルチャーの繁栄、
空前のアイドルブーム、
ポルノグラフィーの蔓延と規制。
自分という性別の問題。


ヲタクと懸念されていたマイノリティーだったはずのものが表舞台に…
なんだ俺の時代なのか?と錯覚するほどヒットする、現代の現象ww
時代を生きなければいけないってこういうことなんですかね…


時代が造ってくれたアンテナに、うまいことビビッとメッセージを発信できたら幸いです。