嵐の夜には

このロビ観の日に嵐の衣装が気になったのですが。
スカートの裾のカット。


キャプ画をリバイバル公演のB5thから拝借。


 


ファーストポジションの並び順で、それぞれの衣装を並べてみると。



スカートが右斜めあがりなのが、みゃおとなっち。
左斜めあがりが小森とまりやんぬ。

ただし、まりやんぬの手袋。
このリバイバル映像では左手につけていますが、ここ最近の劇場公演では夏希さんと同じ右手にはめているので、どちらが正装なのかはよくわからないww
けどまぁ手袋の件はどうであれw、
スカート裾の斜めのカット、やんぬとなっちのわき腹の素肌がみえるカット、胸元のシルバー生地が貼り付けられた位置、小森とみゃおの手首についた小物も、左右対称になってます。



みゃおと小森、なっちとまりやんぬがそれぞれ2人ずつでペアになるところが多い。
この4人がパフォーマンス中であっちいったりこっちいったりフォーメーションが変わるのですが、



一見ばらばらのような振付も、ひとりひとりの関係をみてみると
ステージの下手と上手でシンメトリーになるように計算されている。
他の曲にもありそうだけど思いつけない。



歌詞の中にあるように、「恋する気持ち」と「理性」との葛藤が、嵐で荒れている「窓の外」と「室内」とで対比されているとしたら
こういう風に、ガラス窓の自分の反映と対面するようなパフォーマンスにも重点が置かれるわけだ。
セットの鏡や、ブラインドを駆使してこだわり抜かれた舞台演出と、計算された振付、衣装。
つくづくステージパフォーマンス在りきの1曲だなぁと思います。




インターネットを最初の媒体としたAKB48だからこそ、
秋元Pはその“イメージの拡散”という点にはかなり敏感だったと思う。
画像にしろ動画にしろ。有料のDVDの映像ですら、簡単にネットでばら撒かれる時代。
そんな中で“商品”とは何かを考えたとき、必ずや思い浮かぶのは“いちどきり”というその場に行って目に焼き付けるしかない“公演”。
「嵐の夜には」を観ていると、“ステージ”という空間を経験することの大切さに、何度でも気がつけるように思えます。