借りぐらしのアリエッティー

 またも昨日のことだけど、シネマ・イクスピアリ行って来た。1時間30分ほどだったかな。

志田エッティー

 自分は志田未来さんを何気応援している。ジブリっていろんな芸能人や役者が声優を務めることが多いけど、志田が吹替えしてる感なく楽しめた。アリエッティーとして聞くことができた。Gに驚いた時のギャッ!はいつもの志田らしい驚き方で吹いたけどwただ、全体的にだけど志田の台詞が少なかったような印象を受けた。なんでだろう?やっぱり志田未来を感じさせないアフレコだったからかな。やっぱりプロなんだな。ますます好きになった。

ストーリーと縮尺

 展開が早い。アリエッティーが翔に惹かれていくのも、お母さんがハルにさらわれた後のアリエッティーが翔の前で泣くカットも、もうほんの少しぐだぐだとしていてもよかったんじゃないかな。ネズミ退治業者との時系列を考えるとそれくらいの短時間じゃないとおかしいかな。
 あとサイズ。ハルにつまみ出されたときのお母さんとか、翔の肩に乗ってからのアリエッティーとか、人間と小人を一緒に写す時のサイズがおかしい。小さすぎるんじゃないかとか、大きすぎやしないかとか、ちょいちょい引っかかる部分があった。スタジオに彼らの等身大のフィギュアとか置いてなかったのかな。米林監督のデスク付近には座ってるアリエッティーがあったみたい*1だけど、映画製作者みんなが共有しないといけない感覚だよね。

やかん

 うちの父母がふたりでこの映画をすでに観に行っていたのだが、理系の父はどうも最後のシーンで川を下っていくやかんの描写が腑に落ちないらしく、映画の感想を求めても常にうだうだと「持ち手が上を向いた状態だったらあのやかんはすぐにひっくり返るはずだ」と言い続けていた。…まぁあくまでも理系頭の意見なので、なにか表現的に理由があるはずだと思いみていた。
 そもそもやかん以外の物でもよかったのではと考えた。なぜやかんでなければならなかったのか。オールを繋ぐ綱をくくりつけておく部分が必要だったこと。やかんの持ち手は見事に利用されていた。そしてあの注ぎ口。あの形状が船首をおもわせた。魚がちかくに泳いできた時、うわーと言ってアリエッティーが水面近くまで下りていく場所としても使われた。おそらく他にもたくさんの物があったはずだが、誰もが知っている大きさの物である必要があったこともあり、やかんが採用されたのではないかなと思う。
 ただ、その転覆説を考えると、もっと実物の動きを研究する作業をしてもよかったのではないだろうか。やかんを実際に水に浮かせてみたり、ひっくり返ってしまうならその改善策の加工も考えるべきだったんじゃないかと思う。

…と、粗探しはいくらでもできてしまうので

 嫌なんだよね。それが映画の観方ではないので。
 他のジブリ作品と比べると、物語が展開する世界は1軒のお屋敷。床下小人からすればとてつもなく大きいけど、人間にしてみれば立派な屋敷とはいえ壮大なスケールではない。戦闘シーンもなければ痛々しい場面もない、ほのぼのとした作品。庭(アリエッティー達は「森」といってた)の草花もすばらしい。自然や地球のはなしをするうえであれくらいの恵まれた花々や木々があるべきだったんだろう。春じゃないんだし、あんなにお花は咲いてないもんだ。だけど季節性とか考えずに違和感なく観られた。知らない場所なのに、あの緑々しい夏の景色がまた懐かしいんだよね。それがジブリの魅力。ほんとに。

*1:NHKで放送された「借りぐらしのアリエッティー」ドキュメンタリー番組から。