劇団四季 Disney’s「美女と野獣」 in四季劇場「夏」

 9月7日(火)18:30からの公演。YYAN初の舞浜外活動。1階後方、下手側の席で鑑賞。「ウィキッド」のように舞台上部にセットがあったわけではなかったので、問題なく鑑賞できた。

率直な感想。

 映画の日本語版とは歌詞がガラリと変えられていたので残念。自分は観劇したことないけど「ライオン・キング」は歌詞やセリフもほぼ映画と同じだったそうだから尚更。変える必要あったかなと思ってしまうけど、映画は映画、四季は四季と作品にメリハリをつけたかったのかな。「サウンド・オブ・ミュージック」もそうだったけど映画が名作すぎるとそれに引けをとらない作品を作るってかなりハードル高い気がする。

新たなシーンと設定

 庭での散歩シーンなどセットの関係で断念せざるをえなかった替わりに、図書館で本の話をするシーンが延ばされていたのはよかった。映画では一瞬出てきただけだったけど、あの空間でもっと過ごしている映像を見てみたいなとずっと思っていたから。
ガストンの酒場のシーンは真鍮マグをぶつける音を音楽に、動作をダンスに取り入れていてユニークだったし、強く印象に残った。けど真夜中に医師と3人でモリースを強制入院させる密談をするシーンに楽曲は要らなかったと思う。
それにしても後半はあっという間だったなぁ。野獣が恋心に気がつくのも早いし、映画ではベルは基本的に対して謙って野獣と話していただけに、あんなけ強気なキャラクターだと違和感。ルミエールは「ウィキッド」のボックみたいなちょっと幼い性格でかわいかったし、タンス夫人も映画よりも登場シーンが多かった部分はよかった。

キャラクターデザイン

 ルミエールやコムソワーズなどももちろん人が演じているのだが、そのデザインもかわいらしい。特にミセス・ポットは、手を腰に当てて持ち手の部分にしたり、帽子が蓋になっていたりシーンによってはつばが大きい別のものを被っていたり、感心してしまった。
 「少しずつ物化している」そうで、時間をかけてじわじわと人間から物に変化しているようであった。それが結末を映画とは異なるものにするのかと注目していたのだけど、特に変わりなし。必要な設定だったのかな?コムソワーズの背中にゼンマイ生やしたかっただけかw
 チップも、もともと小柄な役者が演じていたのなら、最初からあのサイズでよかったんじゃないか。台の上に乗せられて、頭だけ出してカップを被っているってなんだかとてもギャグっぽかった。そのせいで映画では出てこれてたシーンに出演できていなかったし、ちょっと残念。

フライング・バトレス

 ベルに城内をコムソワーズとルミエールが案内するシーン。映画でもおなじみだが、台詞や紹介するものは変わっていた。どのような城か、どんな時代かあるいはいつの時代の城かを把握するために個人的には重要視している個所だったのだが、ロココやらバロックやらと天井画をたたえた後に、コムソワーズがギャグに滑ったか何かして「フライング・バトレスを観に行きましょう」と促した。しかし、建築や美術史を知っている人なら即座にん?と首を傾げてほしい。時世が合わない。いや、自分の記憶違いか?
 映画では、城の外観にフライング・バトレスと思われるものはなかったと思う。壁が厚いわけでもない。魔法にかかっているときの城はたしかに石造りで古めかしい要塞を彷彿させる外観だったけど、それにしたって窓が小さいわけじゃないし、なんたってバルコニーが付いているんだから。
 戦闘シーンのセットの外観は魔法にかかっている石造りだったわけだけど、バルコニーの左下にそのフライング・バトレスらしき物陰がみえたんだがあれのことか!?と思ったんだけど、ダンスシーンが繰り広げられた白い大理石の古代ギリシア風のテラスや、デコラティブな内部装飾を考えると、どうも外観だけ時世が合わないというのはおかしくてしょうがない…。しかも、あくまでも城の中を案内しているはずのシーンの流れでフライング・バトレスを見物にいくものなのかな?
 …とぐるぐるぐるぐる考えていて、休憩時間にもこのことばかり話して同伴のYとAに笑われ、妹には呆れられ…。だって気になるじゃないか。「借り暮らしのアリエッティー」を観に行って、最後のシーンで河を流れるやかんが沈まないはずないと延々言い続けている父の気持ちがよくわかった。すごいめんどくさい奴だなと思うのは認めざるをえないけど、けど本当に腑に落ちなくてしょうがない。なにか意味が合って時世をずらしたセットを作っているのだろうけど…どうしてだろう?
 来月DVDがリリースされたら改めてちゃんと確認しようと思う。わりと最近の映画だし、訂正すべき箇所もないからあまり心配はしてないけど、吹替変わってないといいな。