優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

ブラヴィッシーモ!

最終日。
YYANで行ってまいりました。


最終公演といっても、何も特別なことはない。
ただいつものようにミッキーが出てきて、
ワーオこんばんはーって言って、その謎を知りたい?なんでここがこんなにマジカルかって?って質問してきて、
ベリッシープロメテオが出てきて、出逢って、青くなって、フィナーレ(すごいざっくりですが)。


ライブコンサートではないから、出演者のラストだよー!的なノリもない。
それでも終わっちゃうんだから不思議な感覚。
まだあんまり、もう観られないんだっていう実感ない。




ブラヴィッシーモ!が始まったのが、2004年で、おいらが高校生の時。
ディズニーは好きだったけど、パークは年に数回行けば良い方だった。
だけど当時から使っていた京葉線、ドアのガラス窓上部分の広告の「火が水に恋をした」っていうキャッチフレーズは
かなり印象に残ってた。

今みたくちゃんと鑑賞をしたことはなかったし、初めてちゃんと観たのがいつかもおぼえてないけど
ただ、観るたびに発見があった。
考えさせられた。




「火」「水」を、精というかたちで生命化・キャラクター化して
火の精は雄々しく
水の精は優美に表現しているのだけど
それはあくまでも、「火」のたくましさや「水」の美しさ。


“「火」が「水」に恋をした”のだから
どちらが雄でも、どちらが雌でもない。
あれはただ
目にみえないものを目にみえるかたちにしただけの姿。



すべてを自ら焼き尽くしてしまう破滅の「火」が、
自らを滅ぼす最大の宿敵、生命の源である「水」に惹かれる。
ある意味、ファム・ファタールだな…とか←。



素材としては、
「水」のほうが壮大に扱われている。
その魅力に「火」が祝福されるっていう感じがする。
それはここがディズニーの海だってこともあるし、
その領域のなかに火山があるってこともある。



噴水とか、花火とか、水面とか、煌めきとか。

この場所で感動を与えるのは

どれも「火」と「水」。






本来出逢うことのない“ふたり”が
出逢った先にある
マジカルですよね^ω^

本来惹かれ合ってはいけない“ふたり”にこそ、
闇のなかで燦然と輝く、感情が爆発したような、喜びがある。
それは決して間違ったことではない。

それをプロメテオは教えてくれた。

目の色が変わって、嬉しそうに輝いて、蒼くなる
愛する人に染まっていく
あの瞬間が
大好き。







遠い遠い昔のこと。

だけどきっとこれからもずっと。






心に残る。

覚えてる、っていうんじゃなくて、そういうのよりも、

ずっと“形にはならないかたち”で生きているっていう意味で、

心に残ってる。残っていく。


優気にとって、そんなことを教えてくれた、


素直に感動した、初めてのショーです。





本当にありがとう。