優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

映画「美男ペコパンと悪魔」、劇団四季「ノートルダムの鐘」の感想(小説『ノートル=ダム・ド・パリ』含め)

※当ブログは作品のネタバレを含む感想を書いておりますので、気にされる方は閲覧注意でお願いいたします。

 

はじめに -2023年6月-

単なる偶然なのですが、完全なヴィクトル・ユゴー週間になった2023年6月。トピックスと目次は以下の通りです。ディズニーのアニメ映画から入った「ノートルダムの鐘」はとんでもなく深い作品でした…。

  • ディズニーでも四季でもなく、AKBメンバーが出演するという繋がりで観てきたユゴー小説原作の映画「美男ペコパンと悪魔」の感想。
  • ペコパンから約1週間後に観劇した劇団四季ノートルダムの鐘」の感想。
  • 2作品を見たモチベでがんばって読み進めて、9月に読了した岩波文庫ノートル=ダム・ド・パリ』を踏まえたのが当記事となっています。

 

映画「美男ペコパンと悪魔」【20230609@イオンシネマ幕張新都心

AKB48の下尾みうさんがヒロインとして出演している映画です。推しメン彩希ちゃんと同じ倉野尾チーム4であり、あやなんが岡部チームAの時に仲良くしていたメンバーさんでもあります。下尾くんのツイートやRTで映画作品に出ていることを知り、そしてその原作者がヴィクトル・ユゴーであることを知って興味を持ちました。

 

でも「美男ペコパンと悪魔」。聞いたこともないタイトル。

調べてると1980年代に和訳本が出版されたっきりの小説のよう*1。というかユゴーといえばレミゼノートルダムが二大巨頭って感じだからほかのタイトル全然わからん…。

ということでペコパンの原作本にあたるのは一旦断念。この映画化(その前に同じキャスト陣で朗読劇をやっていた模様)に関するウェブサイトで概要を知るなどしたレベルの知識で、映画館に行きました。会場は千葉県唯一の上映館、イオンシネマ幕張新都心

 

映画ペコパン

ペコパン/隼人:阿久津仁愛
ボールドゥール/亜美:下尾みう
悪魔アスモデ/露店商:吉田メタル

遠藤健慎、梅宮万紗子、橘ふみ、井阪郁巳、桝田幸希、梅村実礼、希志真ロイ、佐藤考哲、逢澤みちる、岡崎二朗、堀田眞三
監督:松田圭太

is-field.com

あらすじ

隼人と亜美は仲睦まじい高校生カップル。読書好きな彼女の影響で隼人も本を読むようになる。バス停ではいつも文庫を読んでいて、彼との会話で「レミゼ最高。ノートルダムの鐘がおすすめ!」なんて話を繰り広げてくる彼女なんです亜美ちゃんかわいい。

そんな隼人が装丁がかっこいいから図書館で借りて読み始めたというのが『美男ペコパンと悪魔』。見た目から入る&絶対読みにくそうなのを手に取るあたりに、読書ビギナーを感じてちょっと笑ってしまったけどそれがまたいい。

そしてちょっとしたことで喧嘩になり、亜美を追いかけていった隼人が交通事故に巻き込まれ意識不明の重体になってしまう。隼人がその夢の中で見るのが「美男ペコパンと悪魔」の世界。夢の中で隼人はペコパンとして不思議な旅をする。

そして隼人の持ち物として病室に置かれていた「美男ペコパンと悪魔」の本を亜美が手に取りページを捲ることで、映画のストーリーが進んでいきます。

 

ぶっ飛びユゴーと松田監督

…とここまであらすじを書きましたが、原作を読んでない者でもわかる通り、高校生の現代劇は映画オリジナルと書いて差し支えないでしょう。

もしもこの現代劇がなかったら、あの超ぶっ飛んでるユゴーのファンタジー(かわいくないファンタジー)世界に身を浸して歩いていくのが難しいくらいぶっ飛んでいるので、令和を生きている人間が観る映画としては大変見やすい作品でした。

原作のペコパンを読んでない(読めない)のでなんとも言えませんが、「映像化不可能」と呼ばれるくらい想像力豊かなユゴーの脳内がぶっ飛んでるというのも間接的に理解しました。
だって、親切にしてくれたアジアの山奥に住んでる親子が正体を現したカブトムシの化け物と、ペコパン戦うんですよ。何言ってるかわからないと思うんですけど、ビーファイターみたいなカブトムシと戦うんですよ。ペコパンが。カブトムシの化け物って19世紀にフランスで考案されてたの?イマジネーション凄くね??ユゴーの頭大丈夫?ってなる。

 

悪魔がもんちゃんだった話

そうそう!それで上記のキャスト一覧で気づいてる人もいるかもなんですが、旅の途中でペコパンが出会う悪魔がね、悪魔が

もんちゃんなの!!!もんちゃん!!!

(※舞台「WIZ オズの魔法使い」のエメラルドの国の門番役"もんちゃん"こと吉田メタルさんが、ペコパンのこの映画に出演していたよ!ということを筆者は一生懸命に伝えようとしていますが、興奮のあまり語彙力が崩壊してお伝えできない状況にあります)

 

まさかここで吉田メタルさんに巡り合うことになるとは…。軽く10年ぶり。相変わらず迫力のある、でもちょっとどこか憎めない悪魔でした。私は頭が悪いので、悪魔がペコパンに交渉している話がペコパンにとって益か否かを判断できず、もし私がペコパンだったら悪魔が出してくる好条件の表だけを見てはいと契約してしまいそうだなと思った。それで実際、(夢の中で)ペコパンが彼女の元に戻ってくる時にはもう何十年も時が流れていてお互いに年老いてしまっていました、ちゃんちゃんっていうオチなんだけど、それでも二人で過ごせる時間を幸せそうにする終わり方なんですよね。

 

ボールドゥールと糸車

パンフレットのインタビューで下尾くんも「年老いた姿を演じることになるとは」って言っていたんだけど、美しいのよ、年取ってもあなた。

ペコパンが塔にいるボールドゥールを迎えに行った時、年老いた顔が見えないように足元から少しずつ映していくカメラワークだったんですが、糸車を操っている手付きとペダルの足捌きがなんだかとても玄人みがあったというか、体の筋が通った所作をしていて美しかった。それに、実際おばあちゃんの姿に特殊メイクした下尾くんが出てくるんだけど、美しいのよ(2回目)。

ペコパンも魔法を解いて(ボールドゥールが持たせてくれたネックレスが若さを保つお守りだったと気づいて捨てるんですかっこよ)年老いた姿になって、二人は再会を喜びます。技術が大進化した令和時代にあって最高の特殊メイクでしたが、若い演者の二人の老人の演技、ヨボヨボした声の出し方などにはやはり初々しいものがありました。でもまあ、このぶっ飛んだユゴーの作品だったらしょうがない。そんなこともあるだろう。

 

現代劇のほうに戻ってぶっ飛びユゴーにつっこむ

そしてユゴーの世界が現代劇のほうにもリンクして天使が現れて、彼氏くんがやっと目を覚ましてくれます。最後は笑顔の二人と、吉田さん演じる露天商が並べる指輪とネックレス(ペコパンとボールドゥールがそれぞれ贈り合うもの)で終わります。

ペコパンの原作を読んでいないので何とも言えないけれど、ここはユゴーもこんな脚色をされるとは予想してなかったんじゃないでしょうか。ノートルダム小説を読む限り、こんなハッピーエンドはユゴーが思ってもなかったものだったんじゃないだろうか。

21世紀の創作力を舐めてはいけないぞ、ヴィクトル。こっちも変態ばっかりだ。

 

というわけでこの日偶然にもノートルダム上巻をバッグに入れていた私、亜美ちゃんのおすすめ本を持っていたことで嬉々として読書のエンジンがかかる。ちょろい。ありがとう下尾くん。

そしてあっという間に劇団四季の観劇の日となったのです。(以下に続く)

 

2023年11月

映画「美男ペコパンと悪魔」はロケ地が立川だったご縁で、11月24日〜30日まで立川シネマシティで凱旋公開が決まったようです。気になる方ぜひ観てみてください。

ユゴーの物語は意味わからないし意味わからなくていいけど、とにかく下尾くん演じる亜美ちゃんが健気でかわいいです。

 

イオンシネマ幕張新都心にて

 

 

 

劇団四季ノートルダムの鐘」【20230611昼公演@四季劇場秋】

本当は2022年9月にKAATに観に行く予定だったのですが観劇予定日の出演者のコロナ感染によって公演が中止になってしまい、一年近く待ちました。
長かった。ようやくです。

席も大変見やすい位置で観ることができました。ありがとう。感謝。

 

カジモド

カジモドは、連れていってくれた友人の"推しモド"*2である飯田達郎さん出演の日でした。カーテンコールで何度か出たり履けたりを繰り返している時に、舞台セットの鐘に手を伸ばしてジャンプして軽やかに走り去っていったところに、このステージで初めて彼をカジモドではなく飯田さんとして認識できる一面が見られて微笑ましかったです。

 

プロローグが進みカジモドが登場する場面、クロードが弟から受け取って抱えた赤ちゃんのお包を、飯田さんがそのまま背負ってローブを着るとあっという間に背中が歪んだカジモドに。この演出になんでかとても感激してしまった。皮肉も効いているように見えたりして考えさせられました。しかしうまく作られているなあ舞台って。

 

歌となると、その優しく包み込むような歌声が会場いっぱいに響きます。心優しい青年がそのまま表に現れたような存在ですが、声はガサガサで足を引きずっていて、鐘撞きをしているせいで耳も聞こえが悪いらしい。醜さの象徴として、頬に青っぽいインクで汚れがあります。

 

舞台セットと演出

縦に3段並んだ並んだ聖人像は、モーセの帯の再現でしょうか。ドアのように開いてキャストが顔を出したりします。足場のようなシンプルな木製のセットは、当時のパリの質素さを想像させます。ノートルダム大聖堂上層の手すりも木製のもので再現されていて、その手すりもシーンによっては縦に構えて扉の代わりにしたり、手すりでも聖堂の角に追い詰められたような三角状の構えになったりと可変。

 

シーンがころころ変わる一方で、転換しづらいものをよくこのような演出と美術でクリアしたなあと舌を巻きました。セットを眺めてるだけでも浸れる素敵なものでした。

開演前、自分の席からの撮影はOKとのことで記念に。セットから最高でした。

 

ディズニー映画との比較とフィナーレ

ディズニー映画の曲中では「Who is a monster? and Who is a man?(誰が怪物か?誰が人か?)」と、人間の本性は見かけで判断できないという意図のことを問いかけています。それに対して劇団四季版は「どこに違いがあるのだろう?」です。

これは大きな変化です。モンスターか人間かの2択ではなく、「モンスターが悪」「人が善」という前提もない。誰もがモンスターになりうるし、誰もが人でありうるという、もっと可能性が広い問いかけです。最後にこのメインテーマを歌唱しながら、パリの市民、主要登場人物のみんなが、手で顔を汚し、カジモドと同じようになっていきます。これはとても興味深い違いです。

 

フィナーレ、登場キャストが青いインクで顔を汚していきます。一方で逆に、カジモドは衣装のローブを脱いで"普通の"健康な青年の姿に戻り、死後のカジモドの展開を語ります。これはノートルダムドパリの小説の最後と同じものでした。

ライトが当たる美しい青年、顔を汚したパリの市民たち。(インクなんてみんないつどこで仕込んだ?)っていう驚きと展開にぎょっとする中、フィナーレ。

 

さあそろそろこの物語も終わりがきた
あなたの心に何かが響いていますように
答えてほしい謎がある 人と怪物、どこに違いがあるのだろう?

 

そしてキャスト全員で渾身の合唱。魂が浄化されていくような荘厳さ。こんなん言葉を失いますわ。この頭に入ってる語彙を駆使してどう書いたらいいのかわからんくらい、感想を言葉にすることを放棄したくなるほど。放棄しますね。パーフェクト。

 

目の前で生身の人間が、当時の文化や振る舞いで演じている舞台芝居ならではの熱量と迫力。世界観への没入感がとてつもなかったです。まるで1482年のパリに旅行にでも行ったかのような体験でした。チケット代1万2千円が安く感じてしまうほどでした。本当に素敵な良きものを観ることができました。ありがとうございました。

 

 

 

小説『ノートル=ダム・ド・パリ』を読んで

観劇後さらに火がついて、2016年に岩波文庫から出版された和訳を本格的に読み進めました*3。学生時代に図書館で探したときは酸性紙のポロッポロの和訳本が出てきたので、その後新しく和訳が出版されているのを見るに、作品がこの十年で注目されているんだなと思う。

 

9月に入ってようやく上下巻を読了しました。以前上巻を開いてすぐ『カラマーゾフの兄弟』を断念した私ですが、ノートルダムは身構えていたよりは大変読みやすかったです。学生の頃パリに行ったことはあるから場所を想像しやすかったり、ユゴーの言わんとする哲学をなんとか拾うことができたから内容もとても面白いんですけど、

長えのよ。とにかく長ぇ

フィーバス隊長なんて下巻でやっと出てきて存在思い出したってくらい…

 

ユゴーが彼が生きて作品を書いてた19世紀の読者層を感じる内容と長さ。ストーリーだけだったらこんな分厚い上下巻にはならない。ストーリー以外の時代背景、街の情景や人々の生活の描写、この物語を「神」の視点で見ている筆者のさまざまな考察のほうがページ多いと思う。

美術史を学んでた頃を懐かしく思い出すワードが連発。注釈多いし勉強になるけど、注釈読んでも知らないことがいっぱいだし、私は興味深く読んでいたけどこれきっと興味がない人はとても読めない。だって、建築と書物について大いに語った後にやっとストーリー進行に戻るかなと思いきや、「もう一度かいつまんでおさらいをしておこう。*4」とか言い出してまた同じくらい語り出していい加減にせーや()ってなったもん。一周まわっておもしろすぎる。自由。文豪と読者である知識人たちの高尚な世界の読み物って感じ。きっとこの時代の小説ってそういう存在だったんでしょうね。死ぬほど長いけど、今でいう連続ドラマやシリーズ化する映画みたいなものなのでしょう。

「タイパ」がなんだと言われてタイトルと内容のギャップにいちゃもんつけられたり、そんなトラブルがないようにタイトルが文章になる作品が多い今の時代では考えられない。小説ってこのくらい自由でいいんだなと感じた。希望。

 

原作小説、ディズニー映画、劇団四季の比較

先日金曜ロードショーでディズニーアニメ映画「ノートルダムの鐘」が放送されました。21年ぶりの地上波放送だったそうです。

それを観て、自分はあまりディズニー映画作品を見込んでいなかったんだなと感じました。こんなシーンあったのかっていうのがたくさんあったし、自分が見込んだ自負のある作品と比べたらまだまだだった。

 

そんなディズニー鐘ビギナーの私の目でも、小説、ディズニー映画、劇団四季の違いを感じたことはあった。

まず登場人物の設定や関係、物語の展開ですが、ディズニー映画とも劇団四季ともまったく違うものでした。ディズニーで聖職者が判事に変更されているのは大きいけど、正直どっちがどういうお立場なのか当時の情勢わからないから問題ない(頭悪い感想)。

 

あと、興味深かったのはフロローの死に方。四季版もディズニー映画もどちらも「合ってる」ということが小説を読んでわかりました。舞台と映画それぞれで表現しやすい方にフォーカスして描いたんだな。

超大作の小説だからこそ、切り取る部分次第でいろんな表現の仕方ができるなと思いました。面白い。この点は先の「ペコパン」の映画と同じかもですね。

 

どの作品もそれぞれにいいところがあって、2023年に集中的に観たり調べたり考えたりすることでいい経験ができたと思います。「ノートルダムの鐘」というディズニー映画をきっかけにこんなにも深い世界に足を踏み込むことになるとは…。これがウォルトの望みならこんなに良い流れはないな。

*1:『美男ペコパンと悪魔』ユゴ- (著), 井上裕子(翻訳) (著), シャンタル・プティ (著)、草思社、1980年
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*2:「推してるカジモド」で推しモドらしい。

*3:ノートル=ダム・ド・パリ(上)(下) 』ユゴー (著)、辻 昶 (翻訳)、 松下和則 (翻訳)、岩波文庫、2016年
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*4: (上) p.268