11日の14時46分はちょうど大学にいました。
後々いろんな人の話をきくと、本当にラッキーな場所にいたと感じました。
夕方には乾パン、水と毛布の支給がありました。
美学の院生が集まって作業していた日だったので、仲間もいたし
研究室に置いてあったパーティ用の食品などでその場を凌ぐことができていました。
家族や親戚の無事もわかり、自宅へ電話も通じ、
ほぉと一息ついた頃から妙な疲労感。
気と声を張って会話してたせいか喉も痛い。
ケータイの充電が切れてしまったのでツイートすることもできない。
自分の気持ちを残せない。
周りはうるさい。
余計な情報。
ひとりになりたくて、学生が集まっていた1階の教室を出た。
4階は静かだった。階段を上り下りする声が聞こえては消え、聞こえては消えするだけだった。
いろいろ思い出してみた。
電話口で母が言ってた。
「食器戸棚のものが全部出て皿もほとんどが割れてしまったけど、あんたが使ってるマグカップは落ちたのに割れずに残ってたよ。」
そんな小さな奇跡は要らなかった。
要らないはずの奇跡なのに、うれしかった。
毎朝コーヒーを飲むのに使う、昔から使ってた大切なマグカップだったから。
これからしばらくは紙皿とか使わないとダメだな…と脳裏をよぎった。
これが「被災者」かとわかった。
俺は今、被災者だった。
テレビでみていたはずの「被災者」は、こんなにもあっけなく自分の身にふりかかった。
被災、避難生活、帰宅難民、そのすべてが日常の延長上にあった。
手帳の余白につらつら書き始めたはいいがなんだか感情が止まらなくなってきた。
同じ研究室には、東北のご家族と連絡がつかずに泣いている方もいた。
それなのに自分は、こないだ買ったばかりのCDが割れていないかが気がかりだった。
机上のパソコンは。書棚は倒れてないか。借りた本の山は。
なんて欲張りな人間なんだろう。
命があるだけで幸せだなんて、ウソだったのか。
それなのに
こんな薄汚れた心なのに、「遠慮しないで食べていいのよ」と食料を調達して渡してくれる先輩方は何なんだろう…
涙がとまらなくなった。
どこから出てくるのかもわからない涙だったが
不安でも恐怖でもないのは間違いなかった。
ただ、自分が愚かだった。醜かった。
嗚咽をもらして泣いた。
ひとりでいることが安心だった。
「命」とは自分だけでなく、自分を取り巻く環境もまた、「命」の一部なんだろうと思った。
本当はそうじゃないかもしれないけど
そう思うことにした。
だから随分気持ちが楽になった。泣いてる場合じゃなくなった。
だからもう大丈夫だ。
帰宅する先輩が自宅へ招いてくださり、一晩泊めていただき、ぐっすり眠ることもできた。
ケータイの充電はできなかったのだが、PCを使わせていただけたので大変助かった。
駅まで見送っていただいた。
地元へは案外すんなり着いた。
電車が想像以上に閑散としており、スムーズだった。
綺麗な夕陽だった。
暮れかけの青い空には、白い三日月が上っていた。
なんだか微笑ましかった。
その後は部屋の復旧作業をし、水汲みをし、買い出しに行き…
散々ツイートしたからもういいですねww
ニュースを見るのは大事
節電するのも大事
だけど
無理はしなくていい。
わがままなままでいい。
生きていられることを
大切なものが残っていることを
気持ちに余裕があることを
責めなくていい。
そういう奇跡は罪じゃない。
俺はそう思うからなるべくネガティブなことは言わない。(もう言ってたらすみませんw)
こういう時こそ余裕を持ってないとと思う。
余裕があるからこそ、周りに優しく気をつかわなければと思う。