優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

ウィズ千秋楽【121105】


泣きました。


というと普通の感想になってしまうのだけど、
自分の場合、とても特別なことで。


「泣いた」「号泣してる」などとは言うものの、
本当に泣いたことなんか泣くて。
そう、今までの上記発言の大半は嘘だったと認識していただいて結構です。


なんかどこか、「感動しなくてはいけない」っていう条件の下で増田有華のすべてを観ている気が、ずっとしていた。
Stargazer歌った時も、中ブロやった時でも何でもそうだった。
みんなとも感嘆するポイントがズレてたりして、みんな感動して大泣きしてるのに、いつだって自分だけ平然としていて。
そういう風に考えてしまう自分がすごく嫌だった。
それこそ、心のないブリキ男の存在が他人事じゃない。
同調できない、普通じゃない。
自分は本当に何かに夢中になったり好きになったり、していないんだって。
本当に嫌で、自分が有華のファンだと意識するのも嫌になったり、した。
増田推しです、と名乗るのも申し訳ないくらい。



今日もそういう感じで終わるんだろうと、ステージを観ていた。
HOMEが始まる。
ライオン、かかし、ブリキ男との言葉のやりとりで、周りからすすり泣く声がきこえてくる。
鼻の奥をつんとつついた水分は引っ込む。
ここは2階席。景色だって遠い。
なんなんだろう。
こうやって舞台が終わって、また現実に戻っていくんだなと思った。


増田の喉は絶好調ではなかった。
自分にとって名古屋公演は今日が最初で最後。せいぜい5回の観劇が自分にできる(無理をすればもっと観れたのだけどそういう量増しみたいなことはしたくない)限界だったけど、
今まで観た中でも特に悪かった。
オーディションの時の歌唱を思い出した。
声は大砲のように飛んできた。でもそこに今の増田有華のリミットをみた。
ブロードウエイに立つなら、歌姫になるなら……理想を描ける者じゃなければみえてこないリミット。




HOMEが終わった。
さあ帰ろう。
かかとを1回、2回、



3回。


ドロシーはかかとを鳴らす。
遠巻きにだってわかる。いつもの笑顔じゃない。


この間に何が起こったのか、わからない。
自分の調子が普通じゃなくなったことがわかった。
泣いていた。
やだ、やだよ…と口に出しながら泣いてる自分がいた。



もうここには帰ってこられない。


まだスタンディングオーベーションの波がこない2階の真ん中で、ひとり突っ立っていた。
なんというか、拍手をした。
拍手をしているのだけど、
閉幕の暗転の中、焼き付いたカラフルな光景は離れない。
最後にドロシーが戻っていったホームはとてもあたたかくて、本当の本当によかったと思えた。


本当にもう、帰ってこられないんだ。


だからこそ、涙が出てきた。拍手ができなくなるほど泣いた。
俺にも心があったよ…
そんな自分に出会えたことが嬉しくて、さらにもうちょっと泣いた。




舞台は究極の総合芸術。
終わってしまったら、作品としては何も残らない。人の記憶や思い出、公演記録に残っていくだけ。という心得はあった。


ウィズは今日、これでおしまい。
それだからよかった。
永遠なんてない。なくていい。


いつでもそこに在ってくれたら、有り難みや尊さには気がつけない。
ドロシーが、かかし、ブリキ男、ライオンやオズの国の人たちに別れを告げたのもそう。





ギンガムチェックのテーブルクロスが、最後、「赤」に変わることが引っかかってた。青じゃないんだーって。
HOMEを歌うステージの照明は明るく、日常的に感じる光だなと感じたのだけど、あの不純物のない空間が「白」かもしれない。
ドロシーのあの真っ赤なリボンは「空想」だったのかな。
楽しいこともネガティブなこともひっくるめた"ドロシーの考え"の象徴みたいなもの。
それを最後は、Mr.ウィズに置いていかれた絶望で投げ捨てた。
けどもうそれから最後まで付けることもなかった。
「赤」一色だったところに、純粋な白がおり合わさる。
そんなイメージをテーブルクロスの変化に覚えた。
色に溢れた現実をみて、
ドロシーはもう大丈夫、と思えた。



カラフルなオズの国は本当に楽しかった。すばらしかった。
けど、そこにばかり居てはいけない。だからドロシーは帰っていった。



俺も帰らないとね。










これまでに書いてきたみたいな、美術的な舞台の感想はまた改めて。
思い返せば、尽きませんね。








ドロシー、ありがとう。