優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

AKB48美術部展、おわる。

結局自分は各日レポを書いただけ、3回の来場でおわり、終盤は行けなかったのですが
メンバー、スタッフ、企画の皆様、ありがとうございました。



Google+発信の「AKB48美術部」というある程度の縛りから生まれた企画ではありながら、部員外のメンバーの作品もそれなりの点数出品されていて(しかもレヴェルが高い)、もはや「部」を抜かして縛りをなくしてしまっていいんじゃねと思うところもあったけど、
「美術部」に属したことで新たな挑戦ができたり、新しい居場所や自分をみつけられたメンバーもいたでしょう。
普段から美術館や展覧会によく行ったり、バイトがきっかけでギャラリーで映像やグラフィックなど様々な形態の展示もみるようになったりしている自分にとっては、このうえなく嬉しい企画でした。




「"美術"で金をとること」について厳しい意見もききましたし、
京都造形大学副学長・秋元康のつてで『美術手帖』にメンバーとの対談形式の記事が載った時には、内容がいまいちどうも稚拙だなと感じたことも、実際、自分にあった。
でもきちんと向き合ってみれば、
展覧会を行うアーティストである以前に、「AKB48」というアイドル。
そうでなかったら、いつ誰がやって来るかわからない"巨大オブジェ計画"なぞで客足を釣ったりはしないし、
60分しか観られない展示に、2000円+手数料が何重にもかかるチケット代は払わないでしょう。
「お手柔らか…」にとは断じて言いませんが、
そういう努力できる人の集団である以上、上手い下手があっても本気で制作された作品しかないことは言うまでもない。
そういうところが彼女たちの魅力でもあるし。
観る者を楽しませようとするメンバー達のアイデアや展示の工夫はさすがでした。
いつも美術館で観ている展覧会とはまったく異質の展覧会を観れた。
美術を学ぶ者として、AKBのファンとして、
このおかたいイメージの「美術」という分野によく果敢にチャレンジしてくれたな、と嬉しく思います。




先日の記事でちらっと書いたことですが、


展覧会自体が展示物としてつぎつぎに制作されていくというのは稀有なもんです。
自分の作品が飾ってある壁や台には、作品説明を書いたり、鏡文字にしてみたり、サインを書いたり、作品から繋がったトロンプルイユもあった。
その中でもいち推ししてる佐藤夏希だけは壁に一切の書き込みをしないで、サインすら書かない。追加展示の説明も、壁ではなく、キャプションを貼った。作品だけでに注目してほしい、そんな想いがみえた気がしてる。
メンバーによって、会場の使い方がちがう。それぞれの美意識がみえたのもとても興味深かった。




会期がおわったら、展示を片付けなければいけない。
3331にはこれまで行ったことがなかったんだけど、メンバーが自由に創作できた壁や床はホワイトキューブとして備えられたものだろう。
それらも全部全部とっぱらわれる。
それがホワイトキューブと呼ばれる、現代の美術館ないしギャラリーの基本的な性なんだけど、
解体されてどうなるんだろう?
処分されるのか、あるいはどこかに保管されるのか。
少なくとも、もうあれと同じ空間を再現して、同じ会場で同じ展覧会を開けることはおそらく2度とはない。
儚きかな。


こんなメンバーがいるんだと知る大きなきっかけにも、こんな一面があるんだと発見に繋がることもある、おもしろい機会。
実際自分は、作品をみて「いいな」と思って「推し」を意識しはじめたメンバーがいるのも事実。
会期もギャラリーにしては長いほうだけど、美術展にしては短い。
多くの人(一般人以前にファンの人)にみてもらうには、もっといろんな場所で展示をやってほしいな。
全握とかで小さいブースを設けるとか、そういうんでいいんだよなあ。
また、みんなの頭の中を表現した作品をみられる機会があってほしいなと思います。