優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

ウィズ〜オズの魔法使い〜 初日【120928 19時】

自宅のインターネット回線が完全に逝ったので、iPadから無愛想な更新。


遅ばせながらウィズの感想。
といっても神奈川の初日しかみていないのだが。


幸いなことに、3列目、上手寄りの通路側の席でみることができました。
だがしかし、
自分には近すぎた。物理的にも精神的にも。




ワー!って盛り上がって楽しむことや、大きい音が苦手で。学校の定期試験の終了の合図とともにドッとしゃべり声でうるさくなる教室とかすごく嫌いでした。
風邪をひいた時には「しゃべる」ことについて思うところがあり、学生時代によくいったカラオケもぱたりと行かなくなった最近は、声の音量とか発音も怪しくなってきて、ひとりでいるときの気晴らしの鼻歌すら発するのがこわい。
どれだけ自信ないんだ(´ω`)という感じですがこれが実際。
なので文字に頼るのでしょうね。
自分はそのうち「声を出す」という能力が退化するかもしれません…。
だから、歌ったり踊ったり身体でどーんと表現できる人がひたすら羨ましいのかもしれない。


なんか、もっと楽しみたいんだけど…
頭固くなったのかな。よくないですね(´ω`)


国際フォーラムは3公演チケットをとっていますがそれもわりと1階席の前方でとれてしまっているので、まだ観劇後に疲労みなぎるパターンかもしれないっすね…
大千秋楽は2階席の後ろのほう(´ω`)楽しみです。





舞台

まず、増田セバスチャンの毒の効いたスタイルのセットに圧倒された。
'70年代の「ウィズ」を知らないので何ともいえないですけど、
カンザスの田園の真ん中の古い一軒家、のイメージは悉く裏切られた。
そこには都市部にありそうなコンクリート打ちっぱなしのアパルトメント、窓の向こうで生活する人々のシルエット。


そんな堅固そうな建物がすっ飛ぶこともなく、
ドロシーが吸い込まれていったのは真っ白なドレッサーの世界。
やや信用ならない(原作のあらすじをそのまままとめただけのようなテキスト)配布パンフレットによると「エムおばさんの鏡台」ということになってるけど。
オズの世界で歩いてまわったウエハースとアイスクリーム、缶、毛糸、大きな赤いクマ……あれ全部、ドロシーのお家にあったもの。
細かい作り込みが、みていて飽きない。
鏡やウィズの魔法、背景などをデジタル映像に頼るというのが、なんかもはやそ
れ自体が新鮮でした。


空飛ぶ猿との戦闘シーンのグラフィックもセバさんなのかしら…?
グラフィック映像と演者(アーティスト自身)のパフォーマンスとをコラボレーションさせるというパフォーミングアートを以前テレビで見たことがあったのですが、それに似ていた(番組もアーティストの肩書きみたいなものも一切忘れたけど)。



セクシャル

全体的に、性的なネタも多くぶっ込まれているのですが
悪い魔女の森公美子さんの衣装は、髪飾りからドレス、玉座の形状まで、特にその感が強かった。
性的というか、非常に身体的。身体的というか生々しい臓器。
Mr.ウィズの玉座はベロでしたね。ちょうど大理石の巨大顔面像の真下に配されていましたし。
ポピー畑は麻薬のイメージで、そのままこねずみ警察が登場するわけですが
こういう人間の感覚につけ込んでくる毒々しさ。
それに対して思わず出てしまう苦笑いが、その演出のリアリティを肯定してしまうような事実。
元のミュージカルの段階であったのでしょうけど、
増田セバスチャンさんのアートということも存分に作用してるとおもいます。
カラフルだからこそ生々しく無垢に訴えてくる。
サイケデリックな世界観が訴えかけてくるものが妙に切実で、
映画の「へルタースケルター」を観た時の感覚に似ためまぐるしさと疲労感を覚えました。



照明

ドロシーは淡い水玉のワンピースをきていたけど、
カラーの照明が当たり、黄色、ピンク、青に染まってみえる。
その分、照明効果が印象的。
ちかちかと照明の色が切り替わるなかで、ときおり見える衣装自体の服の色はいたって普通。
けどカラースポットが当たっていれば、無論人の目にはその色で輝いて見えるわけで。
ウィズの"魔法"と同じ綾を感じました。
観客はもちろん、ドロシー達が装着させられるエメラルドグリーンの色眼鏡を掛けられないわけだけど、こうやってその原理を魅せるやり方もあるんですね。



増田有華

9月の握手会にいかなかったので生身の有華ちゃんを観たのはもう数ヶ月ぶりだったのだけど、見違えた。
衣装の力もあったと思うけどチャームポイントの胸のふくよかさも目立たず、手脚やとくに首のあたりがとてもほっそりしていた。
役作りと与えられた機会とでおこなった身体造りで、見事に14歳のドロシーになってた。
表情はころころ変わり、その度に瞳の輝き方が違ってた。
セリフは相変わらず聞き取りにくいところもあるのだけど。


歌は本当に安定。
KAATのトークショーの時に「準備期間1ヶ月は短い!」と亜門さんは嘆いておられたけど、
AKBの尋常じゃない秒刻みスケジュールの日々を送っていた増田にとっては、1ヶ月は長い時間だったはず。あっという間だったかもしれないけど。


ライオンを励ます歌では、歌詞のひとつひとつが表情になっていて、とても説得力があった。
勇気を持てないライオンに語りかけるものでありながら、ドロシー自身を透過して有華自身に語りかけているようにも取れた。
彼女の柔軟性、感受性の豊かさをみました。


HOMEに関しては、多くの方が感想を述べているので何か新しいことが言える自信はないわけだが
ちょっとオーディションの音源を聴きすぎたな。
無論、同じ歌は二度と再現できないものだけど、
あの長さ、抑揚、表現に耳が慣れてしまっているとどうも違和感が否めず、純粋に味わえなかった。反省。
オーディションで歌唱された短いパッセージが、あの段階からずいぶんと歌詞を改変されていたのが気になった。
英和訳の問題だけには留まらないのではないかな。


だがしかし、何よりも、両手を広げて気持ち良さそうに声を出して歌う有華には圧倒された。
そういう感想なんか全然意味がないなって思った。
ステージにあるすべてが、すべてでした。


亜門さんがおっしゃる「演劇を感じてほしい」を思うと、感性ガチガチの自分には、感じきれないところもあったりして
そんな感じきれない世界で増田有華がギラギラに輝いていて、
そんなのを観たら、自分なんか灰の1粒にも満たないと思えてしまって、
楽しかったというより、悔しかった。




それは単に自分が自分のやりたいことを遂行させて実らせていない現実からくる、嫉妬心にも似た感情なのですが。嫉妬もなにも有華ちゃんと同じ天秤に乗れるような人間じゃないんですが。


というのが、当感想文のアップロードが遅延した最大の理由です(´ω`)


別にものすごい覚えてもらってるわけでもないし、すごいまめに追いかけてるわけでもないから、推しでもヲタでもないのかもしれないけど、
でも、増田有華さんを応援してます(キリッ)って名乗るのがとても自信ない。
自分は増田有華さんも河西智美さんも誰も推してないのかもしれない。
なんか、嫌ねこういうの。
得体のしれないしがらみから抜け出せていません。
すっきりしないから、東京公演、早く観たいな。


あ、けどその前に、握手あるんだ…数枚とってる…




ひきこもり寸前




(´ω`)