優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

家族

ってなんだろうと考えることが最近多い。
我が家は基本からして従来に典型的な家族である。公務員の父親、専業主婦(今はパート出てるから専業じゃないけど)の母、自分、妹の4人。
そもそも、自分には「父親」がいないと思っている。「父親」がどういう役割を担ってるとかっていうのを根本から話していけばあれなのだが、自分は「先生」と母親から生まれてきたものだと感じるのである。「父親」から受けるべき愛情だとかそういうようなものは一度も感じたことがない。褒めてもらったこともない。どちらかといえば、楽しんでいる娯楽や趣味に対する誹謗中傷とか、思想を押しつけるようなしつこすぎるネチネチとした嫌味とかを毎日のように浴びせられるわけである。顔を合わせるのも嫌である。自宅にいるのにまったくくつろげる心地じゃない。性格の悪さと、無愛想さ、自己中心的など、G.ユングがいうところのanimus【女性の中の男性像。父親から生まれたイメージを出発点とする。】は、優気の場合、最悪なのである。
「母親」に関しても、出会いから何からして「父親」に対しては対等かといえばそうではなく、従事する姿勢を目の当たりにしてきた。その姿勢が「女性」というものが家庭に縛りつけられている典型例であって、子供ながらに窮屈に見えたことも事実である。がしかしそれにしても……と「母親」に関する話を続けられるのだが、あまりその気になれないのは彼女には「親」に対する有難みを抱くことができているからである。
話題は「父親」である。自分にとって最も身近な存在の男性がこれだったため「全男性はこのような気質を持っているのだ」と思い込んだ私は、おそらく男性の性格の裏をかくようになり、結局中学時代のいざこざの挙句に男性恐怖症になり、男なんて嫌いだ!(正確にいえば「男性的男性」*1なんて嫌いだ!)ということになってしまった次第だと、つくづく思うのである。それが私の「父親」の人間性なのだといってしまえばそれまでだが、その精子から生まれたその遺伝子を引き継いでいる身だと考えるとなかなか消化しがたい真実である。
このイメージをどうにかこうにか打破したいと、晩酌の席で父親と論議することもある(あくまでも意見のぶつけあいとして楽しい範囲)のだが、それでもあの理系の頑固頭を変えることは無理そうであり、逆にこちらの人文系の思想で彼を理解しようとするのも難しい。中学の時だったか、なんだあんなやつと愚痴をこぼしたところ、「母親」が言った。「あんなやつにご飯食べさせてもらってるんだよ」。生まれた以上生きていかなきゃいけない世の中らしいのだが、誰も「産んでくれ生かしてくれ」なんて望んでいないぜ!と罵倒してやればよかったのだが、そんなことして母を泣かせるなんてことはしたくなかったので言わなかった。
こういう思慮深い性とか、今まで学校に通ってこれてるのは紛れもなく「父親」のおかげだ。それは感謝する。しかし、自らの遺伝子を授け、他人のために資金援助をしたらそれだけで「父親」と呼べるのか。その行為自体、実の子どもにしかしないと言い切れるものではない。義理の子どもや養子にそうしてあげたり、国境を越えてそのような活動をする人たちも大勢いるわけである。
はたして彼を私の「父親」と呼べるのか。私が判断するところでは呼べないと思うのだが、しかしやはり「お父さんありがとう」という感情を抱きたいという思いはあるのである。彼が「父親」か否かというよりも、彼を「父親」と呼ぶための決定打を探しているような気がする。


そんなオーラを出してしまっているらしく、最近の「父親」と私の間には、お互い避け合うという気まずい雰囲気が漂っている。セクシャルマイノリティーな自分の性も、この両親には理解できないだろうと確信している。「父親」は本当の意味で理解できないと思うし、「母親」はどうしたらいいのかわからなくて泣くと思う。結局この人たちは、無難に問題のない我が子であってほしいと望んでいるのである。我が子にしてもその「特殊性」にはとても付き合いきれないのである。なぜそこまで断言できるのかといえば、根拠はある。彼らは子のためではなく自分たち両親の面目を考えて、行動し、悩みあぐねて泣いたのである。子どもがどんな気持ちでいるかなど考えないのである。
何にしても全部を吐き出して、家を出たい。縁を切られるとしても、彼らがそう望むならいいのである。ただ、妹との縁が切れるのは悲しすぎるけども。彼女だけはこの家族の中でも一番の理解者だと信じたい。彼氏か彼女かの選択肢に迫られて漏らした「幸せってなんだと思う?」に、躊躇なく「人それぞれじゃん?」と答えた妹だから、どんなに親しい相手でも他人の理解には寛大だと思う。だけどまぁ実際は怖くて何も話せていないのが現状である。


こういう表面上だけの人間関係を尊重する現代的なことを考えていると、友人が話してくれた『パレード』の映画が気になる。DVDリリースはまだなのだろうか。小説が元だからそちらを先に手にとってみようか。

*1:オットー・ヴァイニンガーが説くように「男性」と「男性性」、「女性」と「女性性」は区別して考えるのが筆者の思想である。