手塚治虫作品ミュージカル「ファウスト—最後の聖戦—」【20150711 17:30〜/ 20150720 13:00〜東京千秋楽 @東京芸術劇場プレイハウス】

有華ちゃん24歳のお誕生日おめでとう!(*´ω`*)まりんちゃん卒業とハリー・ポッター合宿(映画全作鑑賞)で動いてるとはいえ、ここまでファウストブログが遅延するとは思わなかったよ!
さて。有華ちゃんが大天使ガブリエル役を務めた「ファウスト〜最後の聖戦〜」の感想です。私が観劇したのは7/11夜公演と、7/20東京千秋楽。たった2公演で理解を深められるような物語ではありません。手塚治虫ゲーテも、原作をきちんと読んだこともないし。だからいつも以上に、くどくどした感想文になると思います。でも書きますね。

物語は処刑される寸前「もっと生きたかった」と叫ぶファウストに、神と大悪魔メフィストフェレスが賭けをするところに始まります。人間は素晴らしい生き物であると主張する神は、もしメフィストがその賭けに勝ったらその説を撤回し、人間は愚かだというメフィストの考えを認めようと持ちかけるのです。メフィストはハインリヒ・ファウストとして彼をもう一度生きさせ、3つの願いを叶えてやる代わりに、ファウストに満足のいく人生だったと悟らせて彼の魂を頂くことができたら賭けに勝つことになります。その契約を承諾したファウストは魔女リリスの薬によって生まれ変わり、人間界に送り込まれます。そして、メフィストが自らの分身として創造した悪魔オフィストフェレスを人間の姿で遣わせ、ファウストの新たな人生がスタートします。悪魔との契約を止めさせようとする天使ガブリエルも人間界へ下りていくことになり、シャーマンの力添えを受けながら、ファウストの運命の人となるマルガレーテに助言をします。
マッピングとステージ上実写のコラボレーションや、照明の動きの使い方で、超越した存在がうまく描かれていました。1回目の観劇は4列目くらいだったのでよくわからなかったですが、千秋楽は1階中腹の席で観ることができたので、そのことがだいぶよくわかりました。

宿命という契約書

メフィストフェレスに促され、ファウストは宿命という契約書に血でサインすることになったわけだけど、この契約書の内容は全うされたと思います。
生まれ変わる前のファウストは、病気の妹を救いたいがために金を盗み、それを妹が自分の罪だと咎めて自害した。そしてファウスト自身は盗みの罪のために処刑されることになった。
そして生まれ変わったファウストは、恋に落ちたマルガレーテと死ぬ前に一瞬でも時を過ごしたい一心でヘレネを捕まえにいき、欲に気が狂ったマルガレーテの父である国王とマルガレーテの兄と戦い、殺めてしまう。ファウストは新しい国王になり名声を得たが、本当に手に入れたいと望んでいたマルガレーテを失ってしまう。
身なりの違う人ゆえ、違う人生を描いて生きてはいるものの、似た形の道になる。この抗えない人の歩みの折り目こそが「宿命」なのかなーと思いました。*1
自らが善と判断した選択で、ファウスト愛する人を失い、自らも傷つき、死ぬこととなる。2つのファウストの生き様に違いがあるとすれば、それまでの過程で「愛」が一瞬でも実ったか否か。愛が実った人生は、ファウストが羨み、望んだ「人間らしい」人生だったのだと思います。だから最期、彼は満足をして魂をメフィストフェレスに差し出します。その時にはメフィストフェレスも無いはずの心が動かされ、彼の魂を自由に放ってやります。

このショーの核心と言っても過言じゃないテーマですが、私の抱いた違和感はマルガレーテの結末。いくら病気とはいえ、兄と父を殺されたマルガレーテが神への信仰に没頭してしまい、愛する人を愛した自分の気持ちすら消失してしまうのはやはり腑に落ちない。病気に託つけて悲劇の女性として操作されている感がありました。それは台本や治虫の原作が悪いのではなく、ゲーテファウストを描いたその時代の宗教観、恋愛観、ある種の偏見的な女性観が根幹にあるからと思います。実際、この頃には男性らしさ・女性らしさみたいなイメージが色濃く描写され現代に残っている時代ですから、「感情的に」生きるのは女性像のプロトタイプとされて不思議ではありません。
だから本当は、女性の体になったからといって、歌詞にあるように女性が抱く気持ちまで理解できるはずがありません。ファウストが男/女で変わった瞬間、話し方やものの見方・考え方まで変わるっていうのには、いかにもそんな時代の作品だな…と感じました。
ただ、女性の体になったところで男として生きているファウストになにか理解できるものがあるとすれば、それば女性として生きることで社会が、人が、自分を見る目の違いがあると思います。 例えば、最初の仮面舞踏会では、かっこよく決まった身なりで皆に注目されて調子乗ったり、マルガレーテの美しさにヘラヘラしていたけど、女性の身となり、また男性に戻った時には背筋の伸びた紳士的な振る舞いになっていたと思います。
また、ガブリエルとマルガレーテの歌の最中では、女性のファウストと男性オフィスとが剣を交えるシーンがありましたが、ハンデを設定した上で稽古をしていました。オフィストが利き腕でない左の片腕のみ、つづけて右腕のみで稽古の相手をしていたことから、男女の体力差を考慮していたことがわかります。ファウストは「オフィストの優しさに気づいた」とも言っていましたし、共に歩む仲間として接していた周囲の男性が自分に向ける態度が変化したこと(「あなたに惚れてしまいそうです!」)もありました。男のまま生きていたら見えなかった視点にファウストが気づくために、一度女性として生きてみることは重要な意味があったのだと思います。
だからファウストは、最後、ヘレネをその手で葬ることができるようになったのだと思います。ファウストが女性になって、それを経て男性のファウストとしてヘレネと戦い、剣などきかぬとか言われながらも倒しますが、それはファウストが男性だから女性だからという以前の根本的な「せい」(性/生/精…セリフだけだとどれかわからない)の価値観を克服したからかなと思いました。
そして、ヘレネは倒されたけど、死ななかった。妖怪だけど消えもせず、ただ舞台袖に去っていくような消え方をした。だからヘレネのような強い誘惑は、今もどこかをうようよと彷徨ってその飢えを潤そうとしているのかもしれないですね。天使/悪魔が人間の中に存在してるように、抑えがたいほどの「欲求」は外部的な刺激としてどこかにいつもあるということかなと思いました。
しかし、ヘレネ綺麗だったな…。パフォーマンス中にスリットから脚がのぞくことが度々あったけど、筋肉質で細くて、形が整っていて、美しかったです。思うんですけど、世の中の女性よりよっぽと女性らしい男性も、世の中の男性よりよっぽと男性らしい女性もいるから、この“男性らしい”“女性らしい”っていう色メガネは本当にいい加減なものだなと思います。

多種多様、表裏一体、でもぜんぶひとつ。

魔女リリスやガブリエルは超人の存在だけど、シャーマンは人間。オフィストは人間として送り込まれた悪魔。ヘレネは妖怪、ファウストは人間………すべてを同じ人間でメイクや衣装の違いのみで表現するのは、その種別がとてもわかりづらいですね。笑いの要素を入れるとしたら男性同士なのに…っていうところになるわけだけど、その性差はあくまでもキャストの性差であって、役柄だけで見たら決しておかしなシチュエーションではない。演者の性なのか、役の性なのか、余計わかりにくい。だからこそ、なんでここで笑う?っていうので多少の苛立ちみたいのはありましたけど、我々人間がつくっているお芝居だから仕方がないところなのかもですね。
天使/悪魔が力を合わせると欲望の魔力に打ち勝つことができるというのは、人間の理性/感性の関係ともリンクする。善/悪は表裏一体、切り離すことができないもの。だから時に、善意のために悪事を働き、悪事のために善行をしてみせる。人間が崇拝するものとして存在する神、天使あるいは悪魔は、人間がいなければ創造(想像)されることのなかった存在。都合のいい望みを抱く純心に「天使」と名付け、都合の悪い強欲に「悪魔」と名付けたのは人間です。だから、彼らの存在に振り回される人間というのもおかしな話というか、「卵と鶏どっちが先?」問題と同じですね。…というと信仰者には怒られてしまいそうなものですが。自分がどちらにでも傾くことができる可能性を持っているのが人間で、それのマインドコントロールによって、いわゆる「善人」とか「悪人」とかって言われる識別が生まれる。
同じ宿命の2つの人生を生きたファウストは、罪を犯した悪人にも、国の先頭に立つ善人にも成り得たわけですが、満足して死んでいったのは愛を知ることのできた後者でした。その愛が結ばれる形で報われなかったとしても、人を愛す喜び/悲しみを知ったファウストは人として深くなったのだと思います。マルガレーテを失ったファウストの悲しみを大悪魔のメフィストは想像することしかできませんが、傷つきぼろぼろになり果てても満足だといって魂を捧げてきた青年に、メフィストはそれ以上の卑劣な道を歩ませない。天国でも地獄でもなく、自由になさいとその魂を天に放ってあげます。感情に振り回される人間は愚かだと信じていたメフィストですら、その感情故に生じる愛がいろいろな存在を突き動かす力を持っていることを思い知ることになります。

ガブちゃん

人間の命には限りがあるから、死んだら何もなくなってしまうから、生まれ持った命を全うしなければならないのですと訴えるガブリエルのセリフは、いつも涙でうるんでいて、純真な中に重みを感じざるを得ませんでした。最後にキャスト全員で歌う「命のテーマ」も歌詞が深く、有華ちゃんまちがえたガブちゃんの姿を見ると、難しいこともあるけど四の五の言ってないで生きなきゃいけないんですねっていう諦念を抱くことになり(重い)目頭が熱くなりましたが、希望/絶望もまた表裏一体なものでありますので、運がよかったとか悪かったとか「神様のおかげだ」とか「魔がさした」って都合のいい考え方が、そんな弱い人間が生きていこうとするのを支えてくれてるんだなと思いました。


っていう解釈になりましたけど、大丈夫ですか?w2回観劇だとこんなところです。もっと細部まで観たかったけど、題材がヘビーなので消しゴムみたいに年一くらいで観られると新たな発見とかありそうでいいですね。大阪公演も無事に終わり、有華ちゃんはじめキャストの皆さん、そして彼女を追いかけるガブリエラー(?)の皆さんもお疲れさまでした。大変難しい舞台でしたが、触れられてよかったと思える作品でした。
ちなみに、千秋楽の日に会場に降臨されたもう1人の天使(/∀\*)については文字に残さず口頭伝承で残していけたらなと思っていますので、興味のある方はどこかの現場でぜひ私の話を聞いてください(?)

(*´ω`*)(/∀\*)

*1:王のセリフから、かつてのファウストが王宮に出入りした身分の低い人間だということがわかった。王宮に出入りしていたならマルガレーテの花の好みを知っていても不思議はないけど、でも舞踏会でマルガレーテ本人を見ても王女だとわからなかったから、そのへんの設定は私には拾いきれませんでした。