優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

真利子哲也監督「ディストラクション・ベイビーズ」感想と「Mine」MVの考察

5/21公開の映画「ディストラクション・ベイビーズ」を逃しに逃してやっと観てきました。クラウンレコード黒澤さんのinstagramで公開を知ったのですが、もうこんなブログを楽しみにくださってる旨コメントをくださったことなど忘れてしまわれたでしょうw(´ω`)黒澤さーん
映画を観ることだけでなく、映画を観てからブログまでもだいぶ経ってしまいました(´ω`)為体で申し訳ないです

ディストラクション・ベイビーズ

劇場スケジュールを何度もチェックしていたのですが、短いスパンで上映を終えてしまう映画館が多くてなかなか予定が合わず。やっと柏のキネマ旬報シアターで観てきました。思えば、公開開始から4カ月後でも映画館で観られるというのは、優良な映画の証のようにも思えますね。
観に行ったのはちょうど日曜のレイトショーでした。日曜夜の柏は非常にくたびれていて、香水の匂いとか何かを紛らわそうとする芳香剤か何かの匂いで具合が悪くなりそうなくらい。駅ではお酒の入った男の人たちが別れの挨拶を改札越しに交わして大声で話していたり、各々遊んで過ごしたのかなっていうひとりの人たちが電車のシートにでっぷりと座ってたりして、「ディストラクション・ベイビーズ」の繁華街を想わせる雰囲気でした。千葉もなんだかんだ田舎だなと思いますね。

映画『ディストラクション・ベイビーズ』公式サイト

泰良(柳楽優弥さん)と将太(村上虹郎さん)の兄弟は、愛媛の港町の工場で養子として育てられていたが、ある日を境に泰良が行方知れずになる。何をし始めたとおもえば、松山に繰り出して通りがかりの人に喧嘩をふっかけてボコボコになる日々。相手は一般人からやくざまで。泰良は地元では昔から喧嘩が強いことで有名で、将太の友人たちもそのことを知っている。
友人とつるんでいた裕也(菅田将輝さん)は、泰良に絡まれた友人を助けることもせずにただビビって見ている。あるいは偽善で止めに入ろうとするだけ。とはいえその一方で、第三者として喧嘩を眺めることを楽しみ、その喧嘩や暴力を何の抵抗もなく動画に撮りケータイに収めます。
裕也は自分一人では何もできない。でもみんなを見下して強くなりたい(強い立場に居たい)から、泰良とタックを組んで「おもしろいことをしよう」と持ちかけ、暴力する域を広げていきます。松山の商店街で泰良と裕也がやりたい放題する夜、暴力をふるう裕也は自らの目線から動画に撮り、ネットに公開します。行為も声もすべて入った、臨場感たっぷりの動画です。それとあわせて、大衆と防犯カメラが見ていたことをきっかけに警察が動き出します。泰良はただ喧嘩相手の選定の幅が広がることに興味があるだけなので、裕也を拒まず一緒に過ごします。裕也は強い仲間を手に入れ「猛獣使いみたい」とどんどん態度をでかくしていきます。
裕也が泰良と決定的に違うのは、少女・女性まで相手にすること。裕也は彼女たちに対して肉体的暴力だけでなく、言葉や行為での精神的暴力、性的暴力まで平気で行っては怒鳴り散らします。男性を相手取る時は年齢が高い人のみ、同年代の若者に絡まれるとめちゃくちゃに暴言を叫んで脅すだけ。弱いから吠えまくって防衛する犬と同じです。
運転手を暴行して奪った車にたまたま乗っていたキャバ嬢の那奈(小松菜奈さん)への裕也の暴力は非常に卑劣でしたが、那奈も恐怖とストレスでどんどんねじ曲がっていく。とはいえ、そんな那奈も万引き常習犯だったり仕事のミスを責任転嫁して平気な顔してたりするので、まぁもとから結構なひん曲がりなんだけど、その容貌と都合のいい媚びた態度でいろんな場面をすり抜ける、嫌ぁな奴です。


「楽しければいいけん」と喧嘩をする泰良の言葉の裏には、楽しい=自分を磨きたい、強くなりたいという精神的充足の意思が込められているように思います。まあ突然通りがかりに殴りの喧嘩ふっかけられるなんて、たまったものではありませんが(苦笑)。
感情任せの動機で暴行する裕也、那奈に対して、泰良が暴力をふっかけるのは自分と喧嘩をしてくれる相手だけ。通りがかりのバンドマン、柄の悪そうなおっさん、ヤクザだったりするのですが、自分と対等に戦える男性しか選ばないし、自分がどんなにぼこぼこにされても決してキレません。殴り飛ばされた後は気持ち良さそうに大の字に寝ころび、自分が負った傷を確かめて歩き出す。血で傷んできた自分の拳を見てニヤリとする場面すらあります。

裕也あるいは喧嘩をふっかけられたヤクザの仲間の振る舞いとして興味深かったのは、助けないこと。日常的につるんでいても、いざ仲間が喧嘩をふっかけられていても無視。ビビりの裕也は、ただぼーっと眺めて終わるのを待ってるだけ。自分の車のボンネットで喧嘩されるのを車内から見ているヤクザは、車が血で汚れるのを迷惑そうに思って発進させます。
商店街での事件の目撃者たちのコメントが、ワイドショーの画面に映りますが「警察呼ばなきゃと思っても動けなくなった」「救急車呼べと叫んでいる人もいた」というような、自分がその場に居あわせながら解決に繋がるアクションを起こさなかったしそのことを悔いたり恥じたりしているようにもない。
明らかに目の前で人が暴力を振るわれている現場に居合わせたとしても、それが知ってる人や仲間であったとしても、ただ見る側にまわる。これもまた立派なひとつの暴力であることを強調されたように思いました。

また他方で、この映画の舞台となっている愛媛には「けんか祭り」という伝統があります。泰良と将太が世話になって工場の長は、そのお祭りで病院送りの人を出すほどのお祭り男という設定がちらりとでてきます。そんな彼は、将太が泰良の犯行を知ったり、そのことをいびってきた友人に暴力を振るおうとするシーンで必ず将太の止めに入り、「ルールがあるんだ」「今はもういい」と体当たりで止めます。映画のラストでは、町を練り歩くけんか祭りを兄弟がそれぞれの場所から見ています。

強い自分を保持するための「暴力」。権威を振りかざすための「暴力」。気持ちにつけこむ「暴力」、沈黙無視の「暴力」。あるいはお祭りの枠の中であれば許容される「暴力」。街中で突然誰かの琴線に触れていき暴力を奮う泰良の行為は一見キチガイですが、映画が進むにつれて「暴力」ってどれを指すんだろう?と沸いてくる疑問は、どうにも避けられませんでした。
とても面白い映画でした。当ブログですから、同じ真利子さんが監督をされた「Mine」MVの感想に繋げたいなーなんて下心満々での鑑賞でしたが、一方であまりにもショッキングな映画と身構えていたので、もしかしたら感想に繋げられないかもしれないと思っていました。でもすばらしい作品には共通する要素もやはりあって、映画は美しかった。そしてこの映画を楽しんでいる自分でさえ、暴力の片鱗のように思えてならず、実に巧みな真利子監督の仕事を楽しませていただきました。



「Mine」MV

さて。ここで、真利子さんが監督をされた、河西さん2ndシングル「Mine」MVの感想を書きたいと思います。2013年5月8日リリースだから、もう3年以上前の作品なんですね。リリース前からストーリー仕立てのMVになるということで楽しみにしていたのを覚えています。



ディストラクション・ベイビーズ」を観ていて、しょっぱなからおもしろいなー!と思った大きな要素が音の聞こえ方でした。
せわしく音楽が鳴り響くシーンが何箇所かありました。たとえば冒頭、将太が学校の帰りか、渡し船を待っている港のシーン。音出しからセッション開始くらいのレベルでざわついていくギターの音(音楽とはちょっと違うかもしれない)が、将太の大きな深呼吸でぴたっと止み、波や風の現実世界の音声に切り替わります。まるで将太が音楽を吸い込んでしまったみたいでした。泰良が街にくり出す初めの場面でも、しばらくバンドが鳴った後で、歩いて喧嘩の相手探しをしている彼の呼吸にあわせてふと音楽が止みます。
この感覚って「Mine」のMVでも似たことがあって、6分半のドラマ仕立ての中で、音楽が鳴っている間だけは楽屋ではない街中の映像(=空想)なのです。はっと気がつくといつのまにか街を歩いていて、「Mine」のイントロが始まると女の子たちの日常を垣間見ながら空想をして、1番サビになったらもうそれまでの不安はなくなってすっかりもう一人の自分を楽しみます。最後ライブ会場のステージに自分の姿を見て、ハッと気がついたところで後奏が消えていきます。ちょうど魔法が解けていくようです。
音楽を聞きながら歩いたり何かをすることって日常茶飯事ですよね、私はよくやるのですが。音楽を聞きながらぼんやりと考え事をしてたのを、一呼吸整えて気分を変えたり何かアクションしようとした時の感覚に似ている気がします。「頭の中」から「身の回り(社会)」へ意識を切り替えるような感じ。
街中の音や喧騒、掛け声などなど、どれもその場所で鳴っているはずなのに、その場所で聞いている感覚が薄い。映像との相乗効果で、その場所で鳴っている音でもましてやBGMでもなく、登場人物自身の耳になって聞いているようでした。


音の聞こえ方と同時に、真利子監督は音と動作の関わり方、リズム感を重視しているのかなということも思いました。
音楽の話を文字にするあたりでだいぶ伝わりづらくなってしまうので、ご承知置きをm(__)m
(しかもあろうことか外付レコーダーが壊れたらしくDVDを再生できないという不測の事態が起こっておりましてwwwwwキャプ画貼りも過去に用意したもののみでやっているため、困難を極めております申し訳ない;;)


たとえば…

  • 1番は、Aメロ【街に迷い込む】→Bメロ【友達3人の輪にすーっと溶け込む自分】→サビ【交差点から街中を走っていく】→サビ終わりの間奏から2番入りまで【建物を出た4人が、河西さんが指さした方向にまた走っていく】と続きます。
  • 2番に入ると明確なシーン分けがもっとはっきりしていて、Aメロ【ショップで服選び】→Bメロ【カフェ?っぽい店内でまったり】→サビ:You're Mineの一瞬だけ【また歩いて移動してる。リボンをしたポニーテールが綺麗に揺れます】→サビ【カラオケで歌ってたり、友達がダンスをしていたり】。
  • 間奏でメイクを直したりして、いざCメロへ。Cメロでは、ディナー中に遠くでカップルが親密そうにしてるのを眺めていますが、じーっと眺めて閉まっている河西さんの前を友達が手を振って遮るところがちょうどYou're Mineの歌詞とかぶせられています。

こんな感じで、Aメロ【導入】→Bメロ【展開】→「You're Mine」の歌詞をきっかけにサビ【シーンの大きな変化が訪れて歩いたり場所を移動したり】という具合に、テンポの良いサビで少しずつテンションを上げていく。Mineという音楽と、登場する彼女たちの歩いたり踊ったり歌ったりする行動が、きれいに重なり合っているんです。
以前リリース直後にもこのMVについてブログを書いたことがありました。そこで落ちサビのシーンについて「螺旋階段をかけおりていくかのような軽やかさ」と書いたんですね。この感想は今でも変わらずにあって、MVを観て感じる心地よさの1つですが、映画作品を観た後では、短編に仕込まれたこんな緻密な映像構造を発見することができました。MVが音楽と相乗して少しずつエンディングに向けて上昇していく感覚には、きちんと動機があったんです。心地よさの理由がよくわかった気がしました。


そして、同じように気になったのが、映像が撮られている目線でした。
ディストラクション・ベイビーズ」は「暴力のシーンがとてもリアルだ」という評価を聞いていました。実際観てみると、いわゆる青春ドラマやアニメで観たことのあるような劇的な暴力とはちがい、泰良がふっかける喧嘩は現実のどこで起きていてもおかしくないような事態に感じられました。車のボンネットで取っ組み合いをされた車の主、あるいはたまたま路地で喧嘩しているのに通りがかってのぞき見てるようなビジョン。映画の鑑賞者と、喧嘩を目の当たりにしてる人物との距離感が非常に近く、それ故リアルに描かれていると思いました。

ここで「Mine」を観てみると、やはり主人公の河西さんと同じ高さです。時には走りながら自分の看板を仰ぎ見る目線、遠くのカップルを眺める視線、ライブ会場の人ごみをかきわける目線などは特に溶け込んでいて、カメラがグループの誰かの視界なのではと思うほどの距離感です。
でも、ここまで徹底して河西さんと同じ目線で撮られている中でどうしても無視できないアングルがありました。それがこの2か所。

1番サビの導入と、2番Aメロ直前の間奏おわりのところ。河西さんとそのお友達の4人全員を俯瞰しています。さて一体誰の目線だろうと考えてみて、思い当たるものがありませんか。あの看板。歌手としての河西智美さん。

最初は突然の異世界に戸惑ってさえいましたが、すっかり友達とも溶け込んでいわゆる"普通の女の子"の日常を楽しんでいる。そんなもうひとりの自分を見守るような、2人の河西さんがちらりと垣間見えるシーンなのかなと思いました。ちょっと無理やりな理屈かなーと思っても、最後まで観ていくとやっぱり、歌手としての河西さんは高いところに居るんですよね。

高いところというか、みんなから観られる位置。看板もステージもそう。"普通の女の子"の見られるとは違って、たくさんの人から注目を浴びる場所。
でもその高い位置へ行ってしまえば行ってしまったで、歌手としての河西さんの目の高さはひとりの"普通の女の子"と同じ。友達やすれ違う人と同じ高さに、スタッフがいる。街もステージも同じ現実にあって、同じ地で繋がった場所。ある立場になった特別な人しか立つ機会のない場所かもしれないけど、決して特別な場所・世界ではない。
以前の記事と重複しますが、"普通の女の子"の世界と"歌手"としての世界は乖離したものではなく、並存している。そのシグナルは河西さんが付けるリボンにも込められています。2番でお友達に髪に付けてもらうのと同じものを、スタイリストさんが付けてくれます。
楽屋の静寂、スタッフとの会話、呼びかけ、挨拶、マイクを受け取ってありがとうと言ったり、歓声を聞いたり…。カメラ自体は河西さんを追いかけていますが、どのビジョンもどの音も河西さんの目・耳で触れているような感覚だなと、改めて思いました。


真利子監督のご活動には疎いのですが、ディストラクション・ベイビーズが自身初めての商業映画ということなので、ミュージックビデオを撮るというのも異色の仕事だったのではないでしょうか。真利子哲也監督の持ち味と申し上げても差し支えのない「映像×音楽」の技巧が、このMVのいたるところに凝らされていることは確かと思います。黒澤さんの人選とセンスの良さを実感いたします。盛ってません。敬礼。
音やリズムなどキャプ画を挟みづらい話になってしまったので、MVを熟視していない方にはわかりづらいこともあったかもしれません。が、今からでも遅いということはありません。優れた作品は古びないものですので、いつ何度観ても飽きません(むしろ今見れない私の脳内ですらきちんと蘇っておりますwとはいえやっぱり映像で観たいw)。なので百聞は一見にしかず!観よう!



↑1番までのshort ver.なら、クラウンレコードの公式があります。

Mine(DVD付Type-A)

Mine(DVD付Type-A)

あと!「ディストラクション・ベイビーズ」上映館はだいぶわずかになってますが、DVD&BlueRayが12月発売です。暴力などだいぶ衝撃的なことは確かですが、美しい映像とサウンドで、残酷とわかっていながらついまた身を浸したくなる世界観です。