優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

彩希ちゃんと紅白48人選抜を考える

このフラストレーションをどうにかしたくて、でもツイッターだとくどくどと書いてしまう悪いところがあるので思いきってブログにすることにしました。このブログは公演やライブなどがあるたびに書くことがほとんどです。そのおかげで、有難いことにこのブログの発信力というかそういうパワーがちょっと付いて多くの方に見ていただけているなと実感する機会が増えました。だからこそ、こういう個人的な想い単体で記事を書くのは迷ったのですが、書くことで頭が整理できるという自分の癖がわかったことと、まあ読もうと思わない人は読みにこないブログという場所なので、そんな特性をいかしてうまいこと書こうと思います。
ただし、なにか情熱あふれる村山彩希論のようなものを期待されていた方がおられましたら、誠に残念ながら期待に添えないと思いますのでそっとブラウザを閉じていただければと思います(笑)

さて。今世間では「AKB 夢の紅白選抜」なる投票イベントを行っています。年末おおみそか放送の紅白歌合戦のステージに立てるメンバー48人を視聴者(視聴しているかは知らない)視聴者の投票で選ぶという、NHK紅白版の選抜総選挙です。テレビのdボタンと、スマホNHK紅白アプリからメンバーを選んで投票できるらしい。1端末1票。順位はおおみそかの紅白の番組内で発表するらしい。
その企画の中間速報が、先日12月15日のAKB48紅白ライブにて五十音順で発表されました。そしてその呼ばれた中に村山彩希ちゃんの名前がありました。
第67回NHK紅白歌合戦

ありました。

はい。ありました。

何百人も居る中で48人に入るというのは、今この中間発表の時点でも衝撃的です。テレビの露出がとりわけ多いわけではない彩希ちゃんだからこそ、テレビ番組の企画・主軸での投票でこの結果というのは、驚いています。それはまったくの予想外!青天の霹靂!という驚きではなく、ここまできているのかという現実が予想に追いついたことへの驚き。村山彩希が自分で決めた道を努力してきた結果がここまで出てきたか、という驚きだと思います。

さて。何がこのフラストレーションを起こしているのか。何が問題なのか。
それは、彩希ちゃんがこの紅白選抜について何も言わないことです。
彼女の口からは一言も「紅白」に関することを言っていません。今日まで一度も行われていない村山彩希アカウントでのSHOWROOM配信ですら自嘲的に触れているというのに。それはメンバーの多くが投票お願いしますとSNS等で発信をし、ファンはそれめがけて投票を行い、周囲に呼び掛け、宣伝画像やGIFを作る中で、敢えてその話題を避けているようにもとることができるくらいに、AKB48に在籍するメンバーの中では異質な態度に見えます。

多くのメンバーは将来の自分の在り方を考えて、選抜総選挙に立候補して可能性を広げようとしていますが、彩希ちゃんはそれを選びません。その理由ははっきりとわかりません。彼女は言葉にするのがうまくありませんから、将来の希望も今のところ伝わってこない。ただ今できることを尊重したいと、劇場公演に立ち続けています。「シアターの女神」を目標に掲げたお正月の公演から早一年が経とうとしています。2016年の劇場公演出演回数は三年連続でメンバーの中で最多でした。彼女は自ら掲げた目標を黙々と遂行しています。

ここで突然私事を挟みますが、投票形式で順位を決めるイベントというのが個人的に大嫌いでありまして、その理由は私がかつてAKBから離れた理由とも似ています。「お金がすべてのように思えるから」です。
経済的に苦しい人も彼女たちに希望を貰うだろうし、稼ぎのない小中高生や、財力があったとしても現場に足を運べずにお金を使うことができない人も、彼女たちの活動に元気を貰う。いろんな環境の人達がAKBのファンになる。私自身お金のないヲタクで、それは学生の頃から社会人として働いている今までずっとそう。これからもずっとそうだと思うし、大金を手にしたとしても好きなものはたくさんあるから、AKBにどれだけ注ぐかはうまく想像できない。でも、AKB48に考えさせられ、気づかされ、勇気をもらい、文章に書き、いろんな想いを重ねます。
では、巨額を使ってくれる投資家=偉大なヲタクなのか?なんか違う。運営的にはそうかもしれないけど、同じヲタクの目線からしたらそんなのは違う。どんな人からも愛されてほしい存在のアイドルという文化の中で、貢いだ額をヲタクのバロメーターにする発想がどうしても解せない、というのが私が投票イベントが嫌いな大きな理由のひとつです。それは選抜総選挙だけでなく、リクエストアワードなど投票系のイベント全般に言えることです。私はそういう自分のバランスの中でAKBを応援しているに過ぎませんが、場合によっては貧乏人のひがみと取られてもおかしくないと思います。
ですが、今回行われているNHKAKB48 夢の紅白選抜」は条件が違います。投票はテレビ端末、スマートフォンタブレット端末からのみということで、毎年48Gが行っている選抜総選挙よりは純粋に1人1票(あるいは人に呼び掛ける力を持つ人)に近い条件下で行われていると思います。大家しーちゃん、みおりんなど、選抜総選挙では上位に上がってこないメンバーの中間速報ランクインは、テレビで見ている一般視聴者(ちゃんと見ている)からの票も限りなく反映されていることを示しています。
では、今回の彩希ちゃんが中間速報にランクインした要因は何だろう?テレビではないでしょう。出ていたとしてもごく一部、48関連の番組が大半と思います。だとすると、劇場公演やライブパフォーマンスでしょうか。握手会も頑張っています。ルックスもあるかもしれませんが、それは動機の一つにすぎず、全てではありませんね。というのが、今の状況です。みんなが彼女の努力を認め、支持してくれている証です。

このキャプは昨夜の私のツイートですが、このツイートに貼っている755のキャプチャ画像は2016年の選抜総選挙に不出馬を決めた彩希ちゃんがやじコメを引用して述べたものです。
この発言はこれまでで最もくっきりと彼女の態度が示された言葉だと思っています。総選挙の結果がすべてではない、それを証明するために自らマイナーな道を選んだ彩希ちゃん。幼少期から芸能活動の経験があってこの世界の厳しさを身を持って知っている彼女だからこそたどり着いた思想だと感じて、彩希ちゃんを推していて本当によかったと心から思った出来事でした。
この言葉が好きだから、彩希ちゃんの活動を見ていて何か思うことがあるとしばしば立ち戻っていました。AKB紅白後にこのキャプを眺め、彩希ちゃんはあの時の決心を有言実行、成し遂げようとしているんだと思いました。証明してくれ。ツイートに貼りつけて投稿したわけです。そしてタイミングのいたずらか、このツイートのRT数が私の経験の中ではかなり伸びたほうで、伸びれば伸びるほど戸惑いが大きくなりました。彩希ちゃんが証明を果たそうとしている事実だけがひとり歩きを始めてしまって、彩希ちゃんの気持ちが度外視されたように感じたからです。この矛盾はこのブログを書こうと思ったきっかけでもあります。

この言い方は言われ尽くしているから好かないが、不器用だから時間がかかると思う。学校でいえば好きにやって先生の言うこと聞かない問題児、あるいは優秀すぎて不登校になってしまうようなタイプに重なる。でも学校の話でいえば、中学までは義務教育と呼ばれる枠組みの中にあるが、高校以上になってしまえばそれは義務ではない。フリースクールなどいろいろある。"普通"を選ばなかったら、普通を選ばなかった人生がある。
彩希ちゃんは「総選挙に出る事が正解なら強制参加なはず」と考えを言っています。AKB48選抜総選挙は2013年開催時(指原首位の年)から立候補制になりましたから、この総選挙というイベントに参加する/しないをメンバー自身が決め、自ら書類を書き提出を行います。道を決めるのはメンバー一人ひとりです。


彩希ちゃんの今できることを重視した活動の仕方は、ある意味で"逃げ"だ、本当は将来どうなりたいかなんて考えていないのではないかと、予期せぬ解釈を招くことがあります。だから余計に、やじで言われる助言が自分を否定しているようにすら思えてきて、頑固になってしまう。でもそれはあくまでも彩希ちゃんがとる「態度」でしかない。態度は考えの表れだけど、思考全体ではない。総選挙自体や、ましてや出馬しているメンバー達を軽蔑しているわけない。言葉で表せるのは頭の中から選び出したことのほんの一部でしかない。そのことは、SNSなどインターネットベースで対話する機会が極めて多いヲタクとアイドルの関係(それだけじゃないけど)の中では、よく留意しておきたい。

私は今のAKB48のスタンダードな制度の部分を支持しません。もっと一人ひとりが自分のやり方で、個性を発揮して輝いてほしいと思う。だから頑なに自分の態度を貫く彩希ちゃんが好きです。それでもチャンスを掴める、努力次第で行く先は可能性に満ちてることを証明してほしい。そう思います。
でも一方で、彼女が「シアターの女神」を目指せば目指すほど、違った道は着実に幅を広がっていて、無視できないものになっている。彼女を応援すればするほど、彼女を苦しめているような気すらしています。その悩ませているひとつに自分の望まない支持があるとするなら、私はまだ残っている自分の投票権利の使いみちを検討したい。テレビのdデータは、本気で紅白選抜を望んでいるあやなんに投票しようと決めた。

私は彩希ちゃんのファンである以上、彼女には笑っていてほしいし、ストレスなく穏やかに活動を楽しんでほしい。
もしも彼女がNHK紅白のステージに選抜として立ったら、凄いなぁと感心して身近の人に「うちの推しの子紅白出たんです」って喜んで話すでしょう。でも、もし現実の支持が彩希ちゃんを48人選抜に留めたとしても、紅白を終えた後で彼女の考えがどう変わってもどう悟ったとしても、村山彩希村山彩希を歩んでいる事実に変わりはない。これからも劇場おばけがシアターの女神を目指す活動を応援していくことになると思います。想いをはっきりと伝えられなくても、その先に明確な何を見据えていても、揺れたり迷ったりしていても、それをひっくるめて彩希ちゃんを信じたいと思っています。だってそういうところが好きだし、言葉にしてくれない分、ステージの上でその答えをみせてくれるから。このブログで選んだ言葉は重いかもしれないけど、つまり、彩希ちゃんの味方でありたいということです。

どうしておまえはそうしたいのかと理由を聞かれると特になくて、単に好きだから。それにも理由をつけろというなら、顔がかわいいとか、言動がかわいいとか、イルカみたいで愛しいとか、今でこそ後発的にいろんなものが複合的に混ざり合っているけど、当時まりんちゃん推しの私がアイドルの夜明け公演で知ったパフォーマンスと愛嬌が良い彩希ちゃんの姿を直感的に好きになって「二推し」と呼ばざるを得なくなったのは、偶然ではなかったと思っている。