優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

ただAKB48のメンバーとして活動するだけではダメなのだろうか

ブログの毎日更新を試みようと最初の記事を書いた時から、(3月って年度末で忙殺されるのでは!?w)とうすうす心配はしてたんだけど、早くも3日目でやっぱりそうなりましたw帰宅が遅くなるから食べて帰ろうと、いつもしない判断をしてお店に入りテーブルにつくと、いつもと違うことが起こるんですね。

以下は気分を害すことも含まれていると思うので、卒業を控えたメンバーを応援している人は迂闊に読まないでください。

ゆいりちゃんの大切な仲間が、また1人卒業発表したと。今度は岡田彩花ちゃん。
申し訳ないけど、「今度は」って付けたくなるほど最近多い。彩希ちゃんが慕ってるちぃちゃんとまりやんぬ、13期の萌ちゃん、うめたん、彩花ちゃん、14期未姫ちゃん、15期なーにゃ、ドラフト2期の希良ちゃんまで。他にもいます。でも、彩希ちゃんが親しいところだけでこんなにたくさんいます。

卒業を決めた理由は、「AKBじゃない自分で歩いていきたい」「自分の脚で立てるようになりたい」「今の環境に甘えていちゃいけない」「やりたいことがわからない」「結果を残せていない」…。
そのたびにみんなが「前向きな卒業」「応援してあげたい」「最後まで楽しもう」とかもう耳にタコができるくらい聞いた言葉で笑みを作る。なんだかなぁ。正直いってうんざりしている、テンプレ貼りつけたような展開。

唐突ですけど、ふと髭男爵山田ルイ53世さんが読売新聞に連載で書いている言葉を思い出しました。ウェブの記事が見当たらないから掲載日もわからないのですがツイッター等のまとめで拡散して広まっているようです。

「みんながキラキラしてないとだめだっていうのはウソです。みんなが輝かしいゴールを切れるわけでもないのに、「みんなそうなろう」って風潮がありすぎる。なんにも取りえがない人間が、ただ生きていても、なんにも責められへん社会、いうのが正常です。」

「何も取り柄がない」とは思わないからこうは言わないけど、結果を急ぎすぎてはいないだろうか。

AKB48に存在しているからといって、みんながみんな何か特別な個性を持っていてそれぞれのステージに立てるというわけではない。逆に私は、特に際立って個性がないけど夢を抱いた普通の子がAKB48に入って少しずつ輝いていくという、一般的な解釈とは逆のベクトルでAKB48っていう場所を捉えています。実際にそうやって輝きはじめたメンバー達が卒業していくのを何人も見てきました。歌やダンスや芝居など何かに秀でた子もいましたが、苦手なものが目立つ人並みの子もいました。

才能があってすぐにスターへ登りつめていく子もいれば、時間をかけてゆっくり成長していく子もいる。いろんなタイプの子がいて当たり前のはずなのにみんないつしか、AKBにいるからにはセンターを目指さなければいけなくて、何か自分が1番になれることを見つけなきゃいけなくて、来年の誕生日までに達成させる目標を公言しなければいけなくて、次の総選挙は順位を上げたいと思わなきゃいけない……そんな価値観に染まっていっているのではないだろうか。

もちろん、AKBを通じて自分が興味のある分野に道を広げるとか、劇場公演とかステージに立つとか、いろいろな希望をもって在籍しているのだと思う。けど、若いメンバーほど自分の進路と向き合って「今」「卒業」という選択をしていることが気になる。
選抜を目指さなければいけないのか。推されなければ意味がないのか。干されは存在価値がないのか。

ただAKB48のメンバーとして活動するだけではダメなのだろうか。