優しかった気持ち

人がつくったものが好きです。AKB48劇場公演。

青山メインランドファンタジースペシャル ブロードウェイミュージカル「ピーターパン」 【20190728 13:00-@彩の国さいたま芸術劇場】

夏休み、ピーターパンです。8月までに各地をまわりますが、皮切りのさいたま公演の千秋楽に行ってきました。今年はホリプロ所属で大復帰した佐江ちゃんがタイガーリリー役で再演ということで、時がきた。さえともの共演を待っていました。二人とも嬉しそうで、ツイッターやインスタグラムに投稿されるオフショットの楽しそうなこと…

吉柳咲良:ピーターパン、EXILE NESMITH:フック船長/ダーリング氏、河西智美:ウェンディ、宮澤佐江:タイガー・リリー、入絵加奈子:ダーリング夫人、久保田磨希:ライザ
萬谷法英:スミー、笠原竜司:ヌードラー、森山大輔:チェッコ、髙橋英希:マリンズ、西村 聡:スターキー、安田カナ:トゥートゥルズ、田畑亜弥:双子、庄司ゆらの:スライトリー、出口稚子:カーリー/ジェイン、川村海乃:ニブス、小山圭太:ジョージ・スコーリー、長嶋拓也:アルフ・メーリン、松本城太郎:チャールズ・ターリー、石上龍成:フォジェティ、三浦莉奈:ナナ/ワニ
持田唯颯:ジョン、山田こはな:マイケル(Wキャスト)、遠藤希子:マイケル(Wキャスト)

個人的に今年2回目ということもあり、ウェンディの無垢な笑顔が序盤からさっそく切ない。いい笑顔。ジョンとペアでダンスするシーン、ピーターパンがやってきたときの反応は、仕草も表情もまだ”大人気どりの子ども”。それが空を飛んでネバーランドに行って迷子たちの"みんなのお母さん"になって弟たちの面倒をみるうちから顔つきが変わってくる。

ネスミスめっちゃ背高いのね。並ぶと河西さんがとても小さく見えるくらい高くてびっくり。それにスレンダーだから英国紳士の着こなしが似合う似合う。そしてフック船長の海賊スタイルも似合う…目がギョロッとした感じと、帽子をすっ飛ばして髪ボサボサになって暴れるシーンなど迫真の演技でとてもよかった。迫力がすごい。

吉柳さん、頼もしい素振り、力強さを見せるシーンの説得力がすごい。あと歌声が逞しくてかっこよくて、とても好き。昨年は初座長ということであどけなさもあったのですが、今年はひたすら逞しい。今話題の「天気の子」で声優さんもやってるらしくて、映画も気になってます。1年ぶりにお目にかかったけど、彼女に魔法がかかる瞬間を目撃できることが嬉しくて、贅沢だなと思いました。昨年も信じられなかったんですけど、吉柳さん15歳なんですって。私は今も信じることができません。

そして佐江ちゃん。………佐江ちゃんんんんんん(涙)あなたをお目にかかるのいつぶりでしょうか…下手したらDiVAの解散イベ以来なんですが…。休養期間などあったようだから気がかりだったのですが、まあ健気で、ますます綺麗になって……くびれ…。スタイルの良さと露出多めのインディアン衣装、ただし過剰にならないようにメッシュで抑えめに。とても似合ってた。ネスミスさんと同じ感想だけど、佐江ちゃんも綺麗な上にやっぱり背があって存在感がある。つい見てしまう。インディアンとピーターパンが兄弟になる宣言してひとり気持ち整理追いつかないでいるウェンディに手を差し伸べるところとか、目の前で優しい世界が展開されていて眼福でした。インディアンの仲間に指示を出し、槍を振り回して戦闘する凛々しい横顔も美しいもので見惚れてしまった。歌中はマイケルと目を合わせると肩や頭をぽんぽんと撫でてあげる仕草に、ああ、佐江ちゃんだなとほっこりしたり。

チケットはFC先行で買ったから、お家に届いたのを確認したらウェンディの写真が印刷されたチケットでまあかわいい。そして謎の良席。下手2列目通路。というわけで、ステージから下りてきた演者さん達とたくさんハイタッチしました(´ω`)笑顔を振りまく佐江ちゃんがすぐに通りがかって、曲が進み、真横にいて耳からの距離30cmのところで彼女の歌声が聞こえたときは卒倒するかと思った。ひたすら美人。元気そうでよかった…。河西さんは復路でステージに戻ってくるときに通ってくれて、後ろの列にお子さんが座ってたから私はノーチャンと思いつつ一応ハイタッチ用に手をおろおろと差し出していると、立ち去り際に肩ポンいただきました…ありがとうございました…大切にします、私の右肩…語彙力ごめん…けどパワーがあったよ。すごいね、触れ方でパワーって伝わるんだね。熱くなった。

最後、ロンドンの部屋に戻ってきて、大人になったウェンディ。ピーターパンを大切に思いながらも、大人になったからもう飛べないし、妖精の粉を無駄にしないでと自らネバーランドにいく約束を果たせないことを明言します。やっぱり切ないんだけど、切ないシーンくるぞーと身構えてた結果思ったよりえぐられず、むしろウェンディの表情に切ないながら明るさが残っているなと感じることができた。ピーターがジェーンに妖精の粉をかけて、楽しいことを想像するように促して、合図をしてあげると、ステージ中央の手前に立つウェンディも目を閉じてワクワクと待ってるんです。大人にこそなったけど、大人になった彼女の中にもまだ"子ども"はいるんだなと思って、それがちょっと嬉しかったです。大人になっていくということが、ただ切ないだけじゃなくて。切ない笑顔じゃなくて、これから大人になっていくジェーンの未来と、ピーターパンの永遠を祈るような優しい笑みをしていました。さっきまでの無垢で明るい発声は、すっかり落ち着いた女性の声に。深みが増して、大人になったという説得力がより一層あったな。河西さんって何でもできるんだな。

何度見ても、飛行は泣いてしまいますね。カーテンコールも、2列目だとさすがにワイヤーがよく見えるし、来るぞってわかってるのに。なんででしょうね。座長の吉柳さんがお辞儀をして「いくぞー!」と言って劇中歌をみんなで歌う時、客席に向かって手を振っている河西さんがとても楽しそうに笑ってこちらを見てくれて、ほっこりしていると、隣のダーリング夫人と目を合わせて安心したみたいに笑いあいながら歌ってて、なぜか大泣きする私。演者の笑顔に弱いのはいつものことだが、まさかピーターパンを観て泣くとは思わなかった。物語の結末も、この舞台の演出も、飛行の仕組みもティンクの正体だってぜんぶわかってる。なのに泣くとはね。童心に返るとはこのこと。いい時間でした。
さいたま芸術劇場いいですね。ピーター&迷子たちのお家のセットと、劇場ロビーの作りが妙に雰囲気似てたし、ステージまでの距離が近くて楽しめる会場でした。ありがとうございました。

8月は来週の神奈川公演を終えると、名古屋、大阪、富山に巡回します。ぜひ…!
horipro-stage.jp


大人になるとは

子どもから大人になる過程で何が決定的に損なわれるのか。おそらく汚れを知らない純真さ、真っ白さだと思うのだけど、もしそれが失われた=「人の闇を知り傷を負うこと」なのだとしたら、乳母車から落ちて親に拾ってもらえなかったピーターパンは、もしかしたら生まれた瞬間からそれをすでに失っていたのではないだろうか。
そうすると、「大人になること」=人の闇に染まり傷つくことについて諦めを覚えて無垢であろうとする努力を止めること、ではないだろうか。
ピーターは親にこそ捨てられ深く傷ついてるが、そのエピソードをさも他人の話のように語っていた。自分の身近に闇を見てもなお、ピーターは無垢であることを放棄しなかった。"子ども"のままで妖精を信じているからティンカーベルと会話ができるし、空も飛べる。ただし、現実世界ではなくネバーランドという離れた世界で。彼が恐れ、軽蔑し放棄している「大人になること」はそういうことなのではないかと、思った。

でも「大人にならない」という選択肢が必ずしも純真無垢の美しいものではないとも思った。ウェンディのように新しい家族を持ち、いつまでもいつまでも幸せに暮らすわけだが、その幸福の形をピーターが受け入れられないとしても、否定することはできない。ウェンディがピーターに(あるいは逆)恋をしていたかどうかはさておいて、一緒に大人になっていくピーターといろんな話をしてみたかったんじゃないかとも思う。ウェンディは「大人になりすぎた」のかもしれないが、ピーターとの約束は大人になっても覚えていたし、彼の存在を信じていたし、ジェーンが彼の訪れを大喜びするのを叱責はしなかった。そんなウェンディの中にもまだ"子ども"はいるはずで、わずかだったとしても"子ども"の想いを持ったまま「大人になる」ことはできるのではないだろうか。

ただしそれは、汚れるたびにきつい漂白剤に浸し生地を痛めながら真っ白に戻していく行為で、苦痛を伴う。そんな苦痛に耐えるくらいならいっそ染まり切って白でなくなってしまったほうが汚れは目立たない。逆に、社会から乖離してしまって美しい白を守り続けることだってできる。劇中で観るピーターと、ウェンディと、迷子たちでさえ、どれを選ぶかは人それぞれ違う。どんなに大切に思う人でも無理強いはできず、ウェンディがピーターに抱いたように、見守ることしかできないもどかしさもあるけど………って、何を書いているんだ私は。
大人になるってどういうことだと思いますか?

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