夏に宣言した「無期限停止」が嘘になった。ごめんなさい。ネット配信で河西さんのライブが観られる機会なので伝わってほしいと思ってこの記事を書いている。
今日のバースデーライブは2部制で、両公演ともにStreaming+でのネット配信がある。彼女の誕生日11月16日を挟んで明後日まで視聴可能なので、ぜひこの折に観てほしい今の河西さん。聴いてほしい今の河西さん。
神ライブ。この方のライブは毎回素晴らしくて、夜の第2部ではユーチューブで途中MC+1曲生配信されたけれど、今回のセットリストは特に歌詞のメッセージを込めて持ち歌だけでなくカバー曲(ヒット曲揃いだったのできっと聴いたことある)にも軸足を置いた内容になっていて、今この時に楽しむステージとして至高だった。
もう一度書きますが、eplusからチケットを買って今日から11月17日(火)23:59まで視聴できます。eplusアカウントがあればOK。1公演約90分3000円。1秒1.8円換算だけどそれ以上の価値あります。ぜひ観てみてください。
セトリはこの記事の一番下に掲載していますが、2回公演で変えてきてる楽曲もある(ところどころカット箇所があるっぽい)のでお好きなほうだけでもぜひ。配信用カメラ、なんと8台入ってたらしい。
3月に脳内ポイズンベリーの舞台を観たのを最後にコロナ禍へ。オンラインイベントばかりの先が見通せない中で最初の現場になるのは何だろう?と気がかりだったところ、11月生まれの河西智美さんのバースデーライブが決まった。そしてコロナ流行第3波と報道される中、毎年恒例のライブスケジュールは無事に当日を迎えた。
私がAKB48劇場を好きになったきっかけの人。離れた時期もあったけどマイペースに応援してきて、起源は彼女なんだなと感慨深くなる。今ではもう卒業後ソロ活動に転じてからの期間のほうが、AKB在籍期間よりも長くなるのだという。いろんなことがあったけど今でもステージを愛して立ち続けてくれていることをとても尊く愛しく思う。
第1部は配信で、第2部は幸いなことにチケットを手に入れて現地で参加できることになった。
BLUES ALLY JAPAN、何度ここに来たことか。都心のライブ会場が大好きな河西さんで、目黒のこの場所はだいぶ通い慣れた。とは言っても半年以上ぶり久々のライブ。スタバのイルミネーションに11月を感じつつ、こんなに綺麗な街だったっけと思わず写真を何枚も撮ってしまった。
生の舞台で見るライブ、スポットライト、演者の一挙一動、観客の手拍子、笑い声…今まで当たり前に思ってた"ステージ"を構成するエレメントのひとつひとつが輝いて感じられた。配信で観た時以上にスポットライトの色々がきらめいて見えたというか、ライトの色々に照らされた河西さんの長い髪がとても綺麗で、歌の世界に吸い込まれる感覚があった。ライトってこんなに綺麗だったっけ。生のステージってこんなに輝いてたんだな。
以前からライブでファンのテーブルに用意されていた指鈴が、声を出して応援できないコロナ禍で生きてくるとは。曲に合わせてリンリンと鳴る指鈴がBメロに入ると「とーもみ!」のリズムで打つのを聞いて、ああこの鈴はファンの声だ…と思った。河西さんもMCで「鈴の音はファンの声援」とそういう言い方をしてたけど、比喩じゃない。確かに鈴の音はファンの声だった。
いつもだったら「ここからはカバーで」とはっきりパートを分けてくるところだけど、今回のライブは持ち歌にカバー楽曲も含めて河西さんのメッセージが一曲一曲の歌詞に込められているセットリストだった。負けないでは、個人的に5月の同人誌の追い込み時期に毎日のように聞いていたので←かなり嬉しかった。どんなときも。も完全に世代なので嬉しい。「どんなときもどんなときも 迷い探し続ける日々が答えになること 僕は知ってるから」…河西さんの声で改めて歌詞をたどってみると、今までと違った響き方で聴こえた。メッセージ性が強い歌を選んでいるだけでなくてメッセージを伝えようとする思いがいつも以上に強かったように思う。それもこれも生で会える機会が激減した今だからなのかもしれない。
もちろん河西さん楽曲もとても楽しめた。大好きなMineも第2部のオープニングで聴くことができた。イントロの「誰にも」が急にセリフだったりして、アレンジにドキッとしたり。シングルの中では歌いにくそうなことが多かったけど、振り返ってみるといつの間にかすっかり気持ちよさそうに歌っているし、こちらも安心して楽しめるようになった。いつ頃だろう、なんとなくセーラームーンのステージに立って以降さらに安定したように思うけど、安定というよりは自信が強くなったというか(偉そうな表現になってしまうけど)意識に磨きがかかっているというか。とにかく河西智美は日々進化している。指鈴を鳴らすようにしきりに促されたけど、そう言ってもらわないとすぐ手拍子するの忘れちゃうくらい引き込まれた、どの曲もそうだった。引力が強かった。
ぎゅっと!もSTAR-T!もずっと聴いてきた歌だけど、今日はやっぱり聴こえ方が違う。歌詞に登場する「君」と「僕」がストーリー上の誰かではなくて目の前のみんなと私だよとはっきり聴こえた。河西さんの明るい歌が大好きなのでとても嬉しいセットリストだった。
手紙 〜拝啓 十五の僕〜はじんときた。私がAKBの河西智美を知った時、彼女がちょうど15歳だったことに気づいた。流行ったこの歌はいろんな場面で聞いてきたけど、河西さんの歌唱を聞いて初めて愚直な言葉たちが沁みてきて、自分が入り込める歌になったと思った。「あの時の辛さがあるから今がある。もしあの時の辛さがなかった今の自分はないと思うと、こわい。あの時があってよかった」と話していた。コロナでいろいろな不自由を強いられて、自分にとっての大切なもの・好きなもの・譲れないものがはっきりしたと。そしてライブの締めでの一言、今は辛い時期かもしれないけどみんな元気でまた会いましょうとも繋がった。辛くても生きてそれを乗り越えていけばきっといつか良い方向にどうにかなる…と。しっかりとそう言っていた。逞しかった。彼女は繊細かもしれないが、脆くはないと思った。
そして名曲、糸。愛の塊のような暖かいこの歌を大好きな河西さんの歌唱で聴くことができるなんてこんなに幸せなことがあっていいのか。メッセージ強めのセットリストについて「いつもだったら「ちょっとクサいかな」と避けるけど、今日はもうクサくていいと思った」と話していた。「恋愛としてこの歌が歌われることが多いけど、私はこの歌詞にファンのみんなと私の「絆」を感じた。そうやって織った布が誰かの傷を癒すかもしれないし誰かを庇うかもしれない。それはとても素敵なこと」だと。「ネットだと言葉が一人歩きしてトゲっとしてしまってそれでさらにトゲっとなってしまうけど、私はそこをもちっと。そうしてもちもちと楽しんでいきたい」と。(小生には用法が難しいワードなのでこれ以外の書き方ができない) ああ、好き。ああ好き。
河西さんのあたたかみに似合う歌だと思った。目を閉じて、手を縦に横に動かしながら歌詞を辿るように歌うのが好き。体を揺らして、ノリのいい曲では細いヒールでリズムを刻んだり、膝を曲げて力をこめるのも好き。彼女の歌はとても引き込まれるけど、それだけじゃなくて現場で観るステージはやっぱり格別。歌はいい。
個人的にいろいろある中で、歌詞のある楽曲を聴くのが怖くなっていた。テレワークに切り替わったのを機にディズニーBGMとかジャズやクラシックとかばっかり聴いている一方で歌詞のあるポップスも無性に聴きたくなるのだけど、言葉は具体的なのであれこれ思い出しては深く考え込んで沈むことが多くなっていたのでしばらくずっと避けていた。正直。けど今日ここに流れた音楽には陰りがなく歌詞には棘もなく、河西智美の言葉としてしっかりと届いてきて、あたたかく優しかった。ただただ嬉しくて楽しかった。ほくほく。あ、これがもちもちか。
先日、河西さんがユーチューブチャンネルを始めるというニュースを聞いて、インスタに思い切ってコメントした。心配性の自分、重いメッセージなのはわかっていたのだけど、手紙も何も書かない自分が今気持ちを伝える術はここしかないと思ったから。すると、すぐにいいねがついて返信をくれた。コロナ禍でSNSなどネットを通じた「新しい繋がり」をポジティブに受け止められたとMCで話していたように、まさに「読んだよ!今画面のこっち側にいるよ!」と伝えてくるかのような返事だったから、嬉しかったけどそれ以上に驚いた。ずっと応援してきたといってもネットからエールを送ることくらいしかできなくて、握手会も通ってなかったから認知もされてないし、彼女が「チユリス」と目を細めて言う中に私は入ってないんだろうなーとずっと思ってきたから、自分なんかの言葉もまっすぐ送ればちゃんと届くんだと実感した瞬間だった。
「なんて暖かいんだろうって。これからチーンって悲しいことや傷つくことがあっても味方がいる、こんな最高なみんながいるんだって思うから大丈夫」
それを文字だけではなくてステージの上で彼女の声で話してくれた。河西さんは舞台に生きる生命力を持っているのだと思った。落ち込むことがあったってまた立ち上がってくれる。だってあんなに輝いてる。だから、私ごときがそんな憂えなくても大丈夫なのかもしれない。彼女だって自分のファンが憂えることを望むわけがないし、私ももっと素直にもちもちと今を楽しんで良いのかもしれないと。思うことができました。そして「これからも頼むわw」でマスクの下で声だして笑いました。ありがとう。